ドラマ『龍馬 最後の30日』、暗殺5日前の手紙2018/02/05 07:12

 NHKスペシャル、『龍馬 最後の30日』というドラマが、昨年11月19日に 放送された。 録画しておいたのを先日見た。 宣伝文句はこうである。 「『龍 馬暗殺』の真実が今、明らかに! 今年没後150年を迎える、幕末のヒーロー・ 坂本龍馬。龍馬と言えば、薩長同盟と大政奉還の立役者。だが、その人生のク ライマックスは、大政奉還を成しとげた後、暗殺されるまでの30日にあった ことが、近年次々と発見されている資料から明らかになってきた。龍馬が目指 したのは内戦を避け、平和裏に新たな時代を作ろうとする「新国家計画」。さら に大胆に推測すれば、この計画こそが、龍馬暗殺の引き金となったかもしれな いという「新たな暗殺論」まで浮かび上がってきた。/明治維新後の日本政治 の大事な分岐点であったかもしれない大政奉還後の1か月。常に身の危険を感 じながらも、命を懸けて闘った知られざる“龍馬最後の30日”を、新しく発 見された資料を踏まえた大胆な仮説に基づき、スリリングなドラマとして描く。」

 徳川慶喜による大政奉還は、慶應3(1867)年10月14日、龍馬暗殺は11 月15日である。 暗殺の5日前の11月10日に、龍馬が福井藩・松平春嶽の 家老中根雪江に書いた自筆の手紙が発見されたと、高知県が発表したのは、昨 年1月13日のことだった。 「坂本先生遭難直前の書状につき他見を憚るも の也」という朱筆の付箋がついていた。

 大政奉還を受けて、新政府樹立に向けて活発な活動を行っていた龍馬は、新 政府になんら財源がないことを憂えて、福井藩で財政再建を成しとげた旧知の 三岡八郎(後の由利公正)の新政府出仕を依頼するため、10月24日に京都を 発って28日に福井に着き、三岡八郎と長時間話をした後、11月3日に福井を 発ち、5日に京都に戻ってきた。 松平春嶽は11月2日に福井を出て、8日に 京都到着、中根も同時期に上京した。 朝廷の「大名は京都に集合せよ」との 呼びかけに、諸藩が日和見をする中、“幕末の四賢侯”の一人で、徳川親藩であ る福井藩・松平春嶽が上京したことは、土佐藩の山内容堂・後藤象二郎や龍馬 らの推進する大政奉還建白書に基づく公議政体論推進派に追い風となるものだ った。

 問題の手紙では、中根雪江が春嶽の上京に尽力してくれたことに感謝し、三 岡八郎の出仕と上京の件は、急を要することなので、早く裁可してほしいと頼 んでいる。 三岡の上京が一日先になれば、新国家の御家計(財政)の成立が 一日先になってしまうと考えられるから、と。 追伸に、今日、(幕臣の)永井 尚志(なおゆき)方を訪ねたが面会できず、談じたい天下の議論が数々あり、 明日も訪ねたいと思っているので、ご同行願えれば大幸に存じます、とある。

 この手紙で初めてだそうだが、「新国家」という言葉が使われ、新政府の人事 (財政担当者)まで検討し、尽力していることがわかる。

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