「国家神道とは何か」神社無宗教論2018/02/10 07:19

 そこで出雲大社紫野教会、中島隆広教会長の「国家神道とは何か」である。 「国家神道」という言葉が、内容もよくわからないままに使用され、さらにそ れが常識として通用している、というように感じる。 「明治維新から第二次 大戦敗戦後までの80年間、日本の国家、政府は神道を宗教として国民に強制 した」というのが現在の世間のおおよその認識であろうと思う。 しかし、実 はその定義は事実とはかけ離れている。 実際に政府が神道において導入した のは「神社無宗教論」だったからだ。

 明治維新以前は、神仏習合といいながら、圧倒的に力を持っていたのは仏教 寺院だった。 江戸時代に徳川幕府が民衆支配のために寺請制度(檀家制度・ キリシタンをはじめ幕府禁制の宗教・宗派の信徒でなく檀家であることを、そ の檀那寺に証明させた制度)を導入したため、明らかな仏主神従状態になって いた。 神職が特に不満を抱いたのは、葬儀も仏式で行わなければならなかっ たことだった。 神職たちは江戸時代の間、神葬祭を行なえるように運動をし て、ようやく神職本人と嗣子のみが許されるようになったけれど、神職の家族 は仏式で行わなければならなかった。

 維新のスローガンは「神武創業の頃に戻る」、復古的な施策の一つとして慶應 4年に神祇官が設置され、明治2年には太政官の外に特立する。 二官八省、 まさに律令時代の復活だ。 明治元年の神仏分離によって、神社と寺院が完全 に分けられる。 明治2年宣教使を設置、大教宣布の詔を発して、国民教化運 動が始まる。 キリスト教対策と大衆をいかに国民としてまとめていくかが、 目的だった。 新政府は最初、キリスト教を禁止しようとするが、欧米列強の 抗議を受け、認めざるを得なくなった。 というわけで、この頃は基本信教自 由だが、その上で神道国教化を目指したといえる。 明治4年には神社は国家 の宗祀であるとして、社格制度が定められ,神官の世襲が廃止になる。

 しかし、復古的な政策はなかなかうまくいかなかった。 神祇官は力もなく、 活躍もできず明治4年に神祇省に格下げとなり、太政官の下に属することにな る。 大教宣布もうまくいかなかった。 そもそも当時の日本には説教をする という伝統が話す方にも聞く方にもなく、仕方なく講談師や落語家がかり出さ れたという。 神社だけではうまくいかないということで、翌年には神祇省は 廃止され、教部省が設けられ、神職も僧侶も教導職に就き、神仏合同で国民教 化運動を行うことになった。 神武創業の頃に戻る、神道を国家国民の宗教に していこうという、神職、神道家の理想はどんどん後退していく。

 教部省の下での大教宣布運動は、神仏合同で行われたが、実態は神主仏従だ ったので、これに不満な最大の仏教宗派、浄土真宗が長州閥の政治家も巻き込 んで脱退の活動を始め、明治8年に離脱に成功する。 この結果、明治10年 に教部省は廃止され、大教宣布運動は失敗に終わった。 神道国教化の夢は実 質的にはここで終わったといえるだろう。

 教部省廃止によって、神社は内務省社寺局の管轄下となる。 国家の首脳で のちに憲法を作った伊藤博文や開明派官僚たちは、欧州のようなキリスト教国 教制より、アメリカ流の政教分離の方がよいと思い始める。 宗教界の流れと、 政治界の流れが合わさって、明治15年に神社は非宗教ということになり、祭 祀のみ行うということになった。 神職も教導職との兼任が禁止され、宗教活 動ができなくなった。 宗教としての神道は、宗派として各自が行うというこ とになる。 これを教派神道といい、神宮教、大社教、扶桑教、御嶽教など神 道十三派が公認された。

 国民統合のために全国民を神社に参拝させるためには、浄土真宗門徒やキリ スト教徒も参拝できるように、あくまでも宗教ではない、という立場を取らな ければならなかったのだ。 浄土真宗が主張したのは、皇室の祭祀が神道であ るのはよいが、神道はろくに教えもしないし、宗教とはいえないものではない か、ということだった。 神道家の中にも非宗教と考えた人がいて、日本が古 代から続けてきた神道は、他の宗教と同じように考えてはいけない、神道は特 別だという考え方だった。 この神社非宗教化に神職達は反発する。 特に葬 儀もできないと激しい抗議をしたため、民社の神職は当分の間葬儀をしてもよ いという妥協ができる。 民社とは、府県社、郷社、村社、無格社。 明治4 年の社格制度で全国の神社のうち、百いくつかの有力な神社を官社(官幣社、 国幣社)、その他を民社に分けた。

 昭和20年敗戦、進駐軍は神道についてよくわかっていなかった。 神道指 令が出て、神社は国家管理を離れ、宗教法人として運営されることになった。  占領軍の主体であったアメリカは、日本の国情や神道のことがよくわからず、 キリスト教と同じようながっちりした教義、組織があって活動し、しかも国民 を動かすような影響力があったと勘違いをした。 そこで神道指令を出して、 国家と神道の分離を図り、神社の国家管理が廃止された。 この神道指令にお いて、初めて国家神道という言葉が今の意味で使われるようになった。 実は 戦前には国家神道という言葉はほとんど使われていなかった。 神社の大半は 戦後の宗教法人法によって宗教法人となった。 さらにその多くは新たに結成 された宗教法人神社本庁の傘下となっている。

 以上、中島隆広さんの「国家神道とは何か」をざっと読んでみたが、『日本神 道史』の斎藤智朗國學院大學准教授の「日本の近代化と神道」と合わせて、そ のあたりの流れがよくわかり、たいへん勉強になった。