高浜虚子と秋月、父の剣術修業の地2018/02/27 07:16

 先日、長々と書いた葉室麟さんの『蒼天見ゆ』の筑前秋月だが、『夏潮』連載 の岩岡中正さんと本井英主宰の対談「虚子と九州」(四)(2017年11月号)に 出てきていた。 岩岡中正さんは、政治学者で俳人、熊本大学名誉教授、『阿蘇』 主宰。 虚子の父、池内荘四郎政忠は、剣術は柳生流、水練は神傳流で、松山 藩中、抜群の腕前だったという。 虚子はその五男、8歳の時、父方の祖母で ある高浜峯の死に伴い、その里方の高浜を継いでいる。 池内荘四郎政忠は、 嘉永3(1850)年24歳の時、九州に剣術修業に出かけ、「四国九州筋剣術試業 日記」を残した。 虚子は昭和21(1946)年11月、72歳の時に、そのあとを 訪ね、「父を恋ふ」という文章を書いた。

 そこで、対談「虚子と九州」(四)から、前後かまわず引いてみる。

父を恋ふ心小春の日に似たる     虚子

濃紅葉に涙せき来る如何にせん    同

本井英「秋月の学校の傍に広々とした空き地があるでしょ。あそこのあたり はいいですね、静かで。誰もいなくて。」 岩岡中正「あそこは城跡ですよね。 そこに中学校があって、黒門っていう門があって上がっていく。最近歴史ポイ ントになっていまして、大変情緒のある、桜のきれいな通り(桜の馬場)です。 この虚子の句はやっぱり絶唱ですね、父恋いの。」「結局彼の中にあった士分の 誇り、家意識、家の重み、池ノ内、高濱、家の重みと誇りと父恋い、これが合 わさってると思います。(上の句)これもいい句で好きですが、(下の句)これ は力強い万感こもる句です。「如何にせん」とまで言い切るわけですから。」

 岩岡「秋月は、美しい山間の小藩。詠まれたスポットが良い。十一月という と紅葉を見るには一番いい色合いの頃です。気分が盛り上がってくるようです。

一枚の紅葉且つ散る静かさよ     虚子

わが懐ひ落葉の音も乱すなよ     同

でぐっと上がってきて、「如何にせん」という感動が出ますね。」

 本井「(要約)『四国九州筋剣術試業日記』は、父の荘四郎政忠がメモしてお いたものを虚子が和綴じだったかと思うが出版し、さらに昭和13年から出た 『俳諧』という虚子の雑誌に、そのほとんど全文が載る。ですからその頃から 虚子にとってこの「四国九州筋の父の足どり」というのは、もう夢のようなあ こがれの場所だった。それがやっと叶って秋月に来たと、こういうことですね。」  岩岡「そういう孤独に似合う場所ですよ。しかも非常に精神性の高い土地だ と僕は思いますね。私はここが大好きで、学生時代から三~四度行ってる。秋 月はたしか五万石ですけれども、空気にも士風にも透明感がある。学問も武芸 も盛ん。「秋月の乱」って御存じですか。」(つづく)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック