佐藤卓己京大教授の「「似我の主義」なき改革」2018/03/01 07:20

 私が日本経済新聞を読まないことをご存知で、目ぼしい記事があると送って 下さる黒田康敬さんが、2月21日夕刊のコラム「明日への話題」佐藤卓己京都 大学教授の「「似我の主義」なき改革」を送ってくれた。 質問がついていて、 「「似我の主義」(福沢諭吉)とありましたが、これははたして福沢先生の専売 なのでしょうか。疑問に思うのでお問い合わせします」とあり、さらに「参考 「道徳の教授法は似我の主義に存す」全集10巻129~132頁。 有名なフレー ズですか?」とあった。

 「似我の主義」なんて、聞いたこともなかった。 そこでまず、佐藤卓己教 授のコラムを読む。 広島大学であった公開シンポジウム「自由・競争・参加 ―大学改革からの問題提起」を聞いていて、30年前の大学院生だった時、京大 教養部の研究室で野田宣雄先生に「これから君が過ごす大学は大変なことにな るだろうね。今のようなスタイルは無理だよ」と言われたのを思い出した。 佐 藤さんは「いや、私までなら、どうにかなるでしょう」と、先生のような研究 者を目指して生きたい、そうした憧憬の思いを表明したという。

 「その後、私は先生と同じようにドイツ留学をして、幸いにも同じ大学で教 壇に立っている。浄土真宗の僧侶でもある先生は「親鸞は弟子一人ももたず候」 と『歎異抄』の言葉をよく口にされた。それでも私は先生に「似我の主義」(福 沢諭吉)を見ていた。それは「我に似よ」と教師が自ら模範を示す教授法の極 意である。」

 「問題なのは研究より教育、教養より実用が求められる今日の大学教員に、 知的な学生が憧憬のまなざしを向けられるかどうかである。30年前に「どうに かなる」と言った私だが、いま果たして「似我の主義」に生きているといえる かどうか。シンポジウムは、そうした自省の機会となった。」と、いうのである。

 質問に「似我の主義」という言葉だけでなく、「参考」の出典があって、助か った。 『福澤諭吉全集』第10巻129~132頁「道徳の教授法は似我の主義に 存す」を見る。 明治17(1884)年12月1日~6日の『時事新報』社説「通 俗道徳論」の6日目の題が、この「道徳の教授法は似我の主義に存す」だった。  念のために1日~5日の題も書いておくと、「今の世に道徳は必要なり」、「道徳 の教は人情に従ふものなり」、「道徳の教は人民の自由に任す可し」、「今の人の 不徳は西洋の罪に非ず」、「人気騒がしきが如くなるも自ら其帰する所ある可し」 となっている。 「道徳の教授法は似我の主義に存す」の内容は、また明日。