「外来」思想の「日本化」、丸山真男の「原型・古層」論2018/03/12 07:22

 昨年11月25日の福澤諭吉協会土曜セミナーで、池田幸弘さんの「福澤諭吉 の政治経済思想: フランシス・ウェーランドとの対比を中心に」を聴き、4日 にわたって下記を書いた。

福澤諭吉とウェーランドの「自由主義」<小人閑居日記 2017.11.27.>

福澤の自由主義には、かなりの制約<小人閑居日記 2017.11.28.>

丸山真男「福沢における惑溺」の序論<小人閑居日記 2017.11.29.>

丸山真男「福沢における惑溺」のさわり<小人閑居日記 2017.11.30.>

 その内11月28日の分に、池田幸弘さんの講演と、平石直昭さんのコメント について、以下のように書いていた。

「丸山真男は、1985年の福澤諭吉協会の総会での講演「福澤における惑溺」で、 日本思想における古層の問題を論じた。 日本の社会思想の基盤の上に、中国、 西洋から新しい思想が入ってくる。 古層は、われわれのメンタリティーから なかなか出ていかない。 それが近代社会の一側面である。

 質疑応答から。 平石直昭さんはコメントで、丸山真男の古層論は最近出た 『丸山眞男講義録』別冊一56年・59年で、記紀神話からの古層への関心を示 しているとし、戦後の1956、57年前後には古層への言及が他にも沢山あった と指摘した。 桑原武夫は中里介山『大菩薩峠』について、中村元(仏教学) は1949年『日本人の思惟方法』でチベットと日本人の関係、原始神道、古神 道が仏教を受け容れるベースにある、きだみのる「日本文化の根底に潜むもの」 (『群像』連載)、加藤周一など。」

 これをお読みになった平石直昭さんが、『UP』No.545(2018年3月・東京 大学出版会)に書かれた「一九五〇年代後半の丸山眞男講義録について」のコ ピーを送って下さった。 そこには、私が池田幸弘さんの土曜セミナーで、平 石さんのコメントを聞いて書いたあたりのことも、詳しく述べられていたので、 二回にわたって紹介したい。

 まず丸山真男の政治学から政治思想史への重点の移動という問題について。  晩年の丸山は、自分の本来の専攻は日本政治思想史で、政治学的な現状分析は 戦後しばらくの間、政治学者が少なかった中でやむなく従ったものだとよく語 った(「原型・古層・執拗低音」初出1984年、『丸山眞男集』第12巻所収、109 頁以下など)。 その重点の移動が、『丸山眞男講義録』別冊一を編集する過程 で、1956年(正確には学年暦上の1956年)を画期ないし節目とすることが明 らかになった。 56年11月~翌年2月までの講義で初めて、記紀神話、古代 ~鎌倉期の仏教、武士のエートスをふくむ古代からの通史に挑んでいる。

 「原型」論について。 晩年の丸山は、講義の序論に「外来」思想を「日本 化」させ、修正させる契機としてくり返し作用する思考パターンを「原型」と いう名で扱うようになったのは「1963年」からと語っている(「思想史の方法 を模索して」、『丸山眞男集』第10巻、342頁)。 この回顧は正確であるが、 他方、別冊一の編集過程を通じて、「原型」という言葉は使っていないものの、 それに連なる問題意識がすでに50年代後半の講義に現れていることが明らか になった。 端的にそれを示すのは、もともと56、59年度の講義用に作られ た原稿で「古神道的伝統」「古神道の伝統的な考え方」とあった箇所が、後に再 利用される際にそれぞれ「原型的伝統」「原型」と改訂されていることである(別 冊一、それぞれ54~55頁、110頁の編者注を参照)。

 そこで平石直昭さんは、「原型」的関心が50年代後半まで遡るとすれば、当 時の思想状況と関連させてその問題を考える必要がある、そして重要なのは当 時、「原型」的なものへの関心が、他の学者・論者によっても共有されていたこ とであるとして、上記の土曜セミナーのコメントで触れた中村元、きだ・みの る、桑原武夫に言及するのだ。 それは、また明日。

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