中村元、きだ・みのる、桑原武夫の「原型」的関心2018/03/13 07:12

 平石直昭さんの「一九五〇年代後半の丸山眞男講義録について」の続き。 丸 山真男の50年代後半「原型」的なものへの関心が、他の学者・論者によって も共有されていたことの指摘を、引用させていただく。 論文の最後の部分で あり、『丸山眞男講義録』別冊一・二(東京大学出版会)公刊の意義についても 触れている。

 「早い例は中村元の「日本宗教の人倫重視的傾向」である(初出『世界』1947 年3月号。のち『東洋人の思惟方法 第二部 日本人・チベット人の思惟方法』 に収録。1949年、みすず書房)。ここで中村は日本人が、家・主人・仲間・国 家(或は天皇)のような有限で特殊な人倫的組織を重視し、仏教という普遍的 な世界宗教をもそうした傾向に適合するように変容させたとし、他のアジア仏 教と非常に異なるとした。そしてその特徴は経済的要因だけでは説明できず「日 本民族に奥深く潜在する精神的習性に帰せざるを得」ず、この「精神的習性を 奥深く考察批判し対処しなければ、日本民族の今後の全面的回心は困難であら う」としたのである。丸山は中村の本を熟読しており、精神革命の重視という 点で、彼の指摘に共鳴したであろうことは想像に難くない(別冊一「解説」255 頁参照)。」

 「また56年当時、きだ・みのるは『群像』に「日本文化の根底に潜むもの」 を連載しているが、丸山は『現代政治の思想と行動』上巻の「追記および補注」 でその論考にふれ、「部落共同体の精神構造がほとんど超歴史的なまでの強靭さ を以て日本文化のあらゆる面に特殊な刻印を押しているさまが興味深い筆致で 語られている」と高く評価している(同上「解説」247頁。傍点は丸山)。これ が「原型」的関心に連なるのはいうまでもないであろう。」

 「さらに桑原武夫は1957年5月の『パアゴラ』に発表した論文『大菩薩峠』 で、日本文化に「西洋の影響下に近代化した意識の層」、その下の「封建的とい われる、古風でサムライ的、儒教的な日本文化の層」、さらにその下の「ドロド ロとよどんだ、規定しがたい、古代からの神社崇拝といった形でつたわるよう な、シャーマニズム的なものを含む地層」という三層を想定し、中里介山の『大 菩薩峠』が「第三層からも養分を吸収していること」を高く評価している(の ち『桑原武夫著作集』5所収)。丸山が桑原のこの「日本文化三層論」をどう評 価していたかは定かでないが、ここにも「原型」的観点に通ずるものがあるの は確かである。こうして「原型」論的関心は丸山の専売特許ではなく、複数の 論者によって共通に意識されていたことがわかる。戦後思想史のこうした文脈 の知見に導き、その意味の再考を迫る点にも、50年代後半の講義録の意義があ るといわねばならない。」

 これによって、土曜セミナーでの平石直昭さんのコメントの内容がよくわか った。 私がブログで「加藤周一など。」と書いていた点については、メールで 次のような丁寧なご教示を頂いたので、念のため付記しておく。  「なお当日の加藤周一への言及は、あの時期、マルクス主義的な発展段階論 とは異なる仕方で、日本文化をどう位置づけるかへの関心が高まったことの一 例として彼の『雑種文化』をあげたもので(1956年刊、その問題関心の限りで は丸山の新展開と重なるわけですが)、加藤の本にも丸山の「原型」的関心に共 通する見方があったと主張したわけではありません。」

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