神吉拓郎の「ブラックバス」前半2018/03/28 06:36

 「夜明けからずっと、彼は湖のふちに座っていた」と、その一篇は始まる。  昔の表題作で、直木賞の最終候補に残った巻頭の「ブラックバス」である。 神 吉拓郎さんの巧さに、息を呑む。 「彼」は、夏に入ってからこっち、毎日の ようにその場所に出かけて、魚を釣っていた。 三方を灌木の厚い茂みにかこ まれた、釣竿を振るのがやっとの小さくて平らな草地、「彼」専用の秘密な場所 だった。 まだ暗いうちに、「彼」は三匹のブラックバスを続けさまに釣りあげ ていた。

 別荘番の小母さんは東京の邸(やしき)が焼けて、この別荘住まいがはじま ってから一年になる今でも、「お晩は卵と、それから罐詰をひとつ開けて、ト マトを切って……」と、はっきり間を置いて、「そうそう、あのお魚もありまし たっけね」と、ブラックバスを決して食物とは見ていないという態度をとった。  だからブラックバスを料理するのはいつも「彼」の仕事だった。 「目つきが いやですよ」と、小母さんは喰わず嫌いを通し、そのつれあいで、故人になっ た「彼」の祖父の運転手をしていた長谷川さんと「彼」の二人で、毎度獲物を 大いに楽しんだ。

 釣を終えると、「彼」はポケットを探って、くしゃくしゃになった煙草を一本 とマッチをつかみ出し、丁寧に煙草をまっすぐにのばして口にくわえると火を つけ、深く吸いこんだ。 ゆったりと沢山の煙を吐き、立ちあがると、老人め いたしぐさで腰をのばした。 そして、考え深そうに眉をしかめて呟いた。 「さ てと……、ここで金色のスプーンが欲しいところだが……」

 このひとくだりの老人くさい芝居は、「彼」の叔父の物真似なのだった。 叔 父といっても、「彼」とは十と違わない年輩で、釣も、スポーツも、叔父に教わ った。 その後、叔父は大学から海軍の予備学生になって、戦地に出て行った。  最後に見送ったとき、人々と別れのあいさつを交し終ると、「さてと……、じゃ あ行ってくるか……」といって、それが癖ののんびりした足どりで兵舎の方へ 消えて行った。 「球でも撞(つ)きに行くみたいだね」と、後でよく祖母は そう繰りかえした。

 叔父の話しかたや歩くときの姿勢、ちょっとした煙草を吸う手つきや笑うと きの声の響きまでを、「彼」は無条件に吸いとって身につけて行った。 「朝は 銀色のスプーンに来るんだ」と、ブラックバスは、暗いうちは銀色の擬餌鉤(ぎ じばり)に来る、太陽があがって、すっかり昼間になったら金色のスプーンに とりかえることも、教わった。 叔父の教え方はとてもうまかった。 ところ が残念なことに、叔父はその頃ある少女と恋におちた。 その少女はテニスが 得意だったので、叔父は釣竿を捨ててラケットを握るようになった。 その頃 の「彼」にとって、それはかなりくやしいことだったけれど、今、17歳になっ てみると、叔父のやり方は当然のことだった。 「僕だってそうするさ、明さ ん」

 最後の面会の日、色の黒い少女の姿は見えなかった。 叔父は彼女を心待ち にしていたに違いなかったが、とうとう最後まで口に出さなかった。 恐らく は、死に行く若者と少女の、劇的な別れの結果を心配した両親が、少女を営門 へ行かせなかったのだろうと「彼」は想像した。 そして小さなやり場のない 怒りを感じた。

 叔父の最初の手紙は台湾の高雄から来た。 祖母あてに一通、まだ東京で工 場へ通っていた「彼」あてに一通が届いた。 それからあと、消息はまったく 絶えていた。