古今亭志ん五の「黄金(きん)の大黒」2018/03/06 07:18

 弱ってる、と志ん八改メ古今亭志ん五は、始めた。 埼玉の北部で独演会を やることになっているのだが、ポスターの写真が、7年前に亡くなった先代の 写真になっている。 インターネットを「志ん五」で検索して、二人出るのか ら、チョイスしたんでしょう。 弱ってる、と同時に、わくわくしている。 顔 が違う。 「志ん五です、お世話になります」と挨拶すると、エッ! またまた!  とか、言われるんでしょう。 楽しみにしているんであります。(緑色の羽織を 脱ぐ、白い着物)

 町内の若い衆が集まっている。 大家が呼んでいるというから、店賃の催促 に違いない。 お前は、いくつ溜っている? 二つ。 俺も二つだけれど、俺 とお前は大金持だ、みんなの具合はどうだ? 四つほど。 五つと願いたい。  六つです。 六つは、半年ってんだ。 家の娘が三つになる、生まれてからだ から、三年。 何を! 大きなお世話だ。 親父の代から払ってない。 金ち ゃんは? 店賃て、何です? 大家さんの、月々のお足だ。 まだ、貰ってな い。 六ちゃんは、長屋の斥候兵だから、大家さんとこの番頭さんと会って、 探りを入れた。 大家さんの坊ちゃんが、近所のガキと砂遊びをしていてね、 「黄金(きん)の大黒」を掘り出した。 それで、みんなにお祝いのご馳走を してくれるってんだ。 金ちゃん、どうした? ご馳走ってのは、何? おま んまだよ。 エーーーン。 泣いてるよ。 ゼニなくて、三日ばかり、おまん ま食ってない、水で命をつないでいる。 ふだん食べないようなものが、食べ られる。 猫まんま、とか? そんなんじゃない、もっといいものだ。

 ちょっと待って、六さんが番頭さんに、お祝いの席だから、羽織の一枚も着 て、口上の一つも言ってもらいたいと、言われた。 金ちゃん、羽織は? 持 ってない。 一枚ありゃあいい、みんなで回せば。 誰か持ってないか? ア、 ウッイ! いつか、こんなことがあるかと思って、紋付きだけどかまわないか。  三所紋か、五つ所紋か? 一つ所紋、背中に大きく、○に伊勢屋。 印半纏じ ゃないか。 婚礼に着てっちゃった、来る人、来る人、俺に下駄渡すんだ。下 足番と間違えたんだ。 ア、ウッイ! 羽織って、着物の上に重ねて着るやつか、 前に紐があって…、袖のないやつ。 それ、ちゃんちゃんこだよ。 五つ所紋 のがある。 早く、持って来い。

 あと口上だ。 順繰り、順繰りにやればいい。 誰か口上できる奴はいない か。 アーウー!アーウー! 猫が盛りがついたようだな。 落語聴きに行っ て、真打披露口上を聴いて来た。 羽織が着いた。 貸せ、口上の手本だ。 ト ザイ、トーザイ!

 よく来てくれましたね。 お坊ちゃんが、黄金の大黒を掘り出されたそうで、 どうも、おめでとうございます。 普段から情け深い大家さんが、お祝いのご 馳走をして下さるそうで、有難うございます。 みんな来てませんか? 私が 見回って参りましょう。 うまいね。 次は金ちゃん、行っといで。 いいか ら、行って来い。 ちきしょう、冗談じゃないぞ! 金ちゃん、よく来てくれ たね。 こんちは、ウーーーッ、ウケタマタマカリマスレバ、それから何て言 うの。 大家さんのガキと長屋のお坊ちゃんが……、ぐるっと回って来ます。  もう一人行ってよ、羽織が一枚しかないんだから。 江戸っ子の見本だ。 こ んちは! さいなら! 番頭さん、何か言ったね、いいんだよ、羽織なんてなく ても、みんな入りな。

 こんちは! こんちは! こんちは! ウッ、ワン! 長屋のポチも一緒か。 松っつあん、こっちへ来い、ウチの悪さがお前さんの所へ、よく遊びに行って いるようだが、悪いことをしたら叱ってくれよ。 どんどんやってます、こな いだも、七輪の火をあたいのオシッコで消しちゃおうか、と。 やれるもんな ら、やってみろって。 どうした? どういう育ちか、やりやがった。 ほっ ぺた、キュッとつねったら、石を投げてきたんで、地べたにぶん回して、二、 三発、なぐった。 げんこか? 金槌で。

 二の膳付きのご馳走と酒で、楽しい宴会になる。 向こうの方が騒がしい。  俺のテエ(鯛)を買わないか? 買おう、いくらだい。 20銭。 30銭。 も っと、もっと。 40銭。 42銭。 きざんだな。 50銭。 よし、売った。  金ちゃんが、大家さんにからむ。 床の間から、大黒様がトコトコ歩き出し、 出て行こうとする。 大家が止めると、「あんまり愉快なんで、これから仲間の 恵比寿も呼んでこよう」

五街道雲助の「干物箱」前半2018/03/07 06:39

 五街道雲助、ドン、ドンと始まる太鼓が印象的な出囃子「箱根八里」で、例 の奴凧のような恰好で出て来た。 今はお遊び場所が沢山あるが、昔は女郎買 いに決まっていた。 吉原は、女が手ぐすね引いて待っている。 誰でも褒め てくれる。 色白、背が高い。 まったく褒めようがなくても、顔を見て、ち ょっと驚く。 あらまあ…、こちら、まあ容子がいい。 どこがとは、言わな い。 あの女は、本物(ほんもん)だ。 あの女は本物だ、と思っている内に、 懐に一文も無くなる。

 吉原に夜泊り、日泊りで、親父に二階に放り込まれた幸太郎、元気がない。  婆さんに輪を掛けて強情だからな。 幸太郎、たまには下に降りてきたらどう だ、お父っつあんと話をしないか。 湯屋へ行って、さっぱりして寝たらどう だ、ただお前は「角兵衛獅子の食もたれ、返(帰)えりゃあしない」から、三 十分で戻らなければ、今度こそ勘当だ。 行って来ます、さよなら。 表はい いね、半月ぶりだ、脳が洗われるようで、親父も湯へ行けなんて、俺に気ィ遣 ってやがら、親孝行してやろうか、肩でも揉むか。 今夜は早く帰る、三十分 以内で帰れば、親父は喜ぶとは思うんだけど、これが駄目、外心がつく。 吉 原はいいね、花魁はいい匂いがする。 ねぇ、若旦那、なんてね。 三十分は きついね。 源公の人力でも三十分じゃあ、行って帰ってくるだけで一杯一杯 だ。 若旦那、浮かない顔ですね。 なんだ、竹やんかい、人相見るのか。 蟄 居閉門の身、湯屋へ行く三十分しかない。 お気の毒で、前に二円でご伝授し た「カゴ抜けの法」はどうでした? 塩ザルに蒲団をかけて、抜けだしたら、 近所でボヤ騒ぎ、帳場格子にいた親父が起しに来てね。 机の上に塩ザルを置 いて、この方にお礼を言えと、頭を下げさせられた。 しからば、「身代わりの 術」を伝授料・五円で。 貸本屋の善さん、若旦那の声色が上手い、向島の植 半で、若旦那の声色をやったら、隣の部屋に大旦那がいて、間違えた。 あれ が役に立とうとは思わなかった。

 奥から二軒目、きたねえ家だな。 いるかい、善公。 善さんは、お留守で すよ。 いるんじゃないか。 大家さんでしょう、店賃は月末にはお持ちしま す。 米屋さん、魚屋さん、八百屋さん、薪屋さん、蕎麦屋さん…。 方々に 借りがあるんだな、善公、俺だ、俺だ。 善公って、呼べるのは、大家と若旦 那ぐらい。 若旦那ですか、しまりがしてある、戸の左の上を押して、右下を 引き、ちょいと持ち上げるようにして、下を蹴っ飛ばし、ガラッと開ける。 開 いた、箱根のからくり箱みたいな戸だな。

 どうしても会いたくなっちゃって、吉原の花魁だ。 行きましょう。 行く のは俺、お前は行かない。 頼みがある。 貸本屋をやっていられるのは、若 旦那のおかげ、若旦那の為なら、命もいらない。 向島で私の声色をやったら、 隣の部屋に親父がいて、間違えたそうだな、大層なものだ。 身代わりで家の 二階にいてもらいたい。 いやだ、駄目だ、もし見つかったら、大旦那は柔術 をつかう、胸倉つかまれて、池へドボンと放り込まれる。 この時季だ、風邪 を引く、命はいらないけれど、風邪は引きたくない。

 縞の羽織に、三円つける。 やりましょう。 顕われや、しないでしようね。  そうそう、親父の代わりに、運座へ行った話を聞くかもしれない。 「抜きは 出たか」と聞いたら、「出ました」と、巻頭の句は「親の恩、夜降る雪に音もせ ず」、巻軸は「大原女や、今朝新玉の裾長し」。 書いて下さい、四角い字は駄 目、仮名で。 嫌な貸本屋だな。 俺の女だって洒落はわかる、善さんのご商 売は? って聞くから、上野の山のモク拾い、コレラ病棟の係員…。 やめた、 やめた。 羽織に、五円つけるよ。 やりましょう。

五街道雲助の「干物箱」後半2018/03/08 07:08

 只今、帰りました。 何だ、二階に帰ってきているのか、まだ二十分と経っ ていない、感心、感心、これならいつでも外に出してやるよ。 お父っつあん、 お休みなさい。 お父っつあん、うまいでしょ。 何がうまい。 お休みなさ い。 立派な部屋だね、若旦那、いい蒲団に寝ているな、絹布の二枚重ねだ。  本がある、何読んでいるんだろう、『学問のすゝめ』、難しい本読んでいるね。  薬缶が錫、取っ手に瑪瑙がはまっている。 おや、燗がついている、しっかり 支度してあるんだ。 上燗、上燗、毎晩こんなことしてもらっていて、それで も女に会いたい。 女の力は、大したもんだ。 源公の車は早い、若旦那、今 頃どの辺まで行ったかな、アラヨ、ラララララ、ルルルルル、源公は速いから な、ウォー、あばよって、前の車を抜く、ラララララ。

 (下から)何を騒いでいるんだ。 アーーン。 いけねえ、雪隠詰めになっ ちゃう。 お前に聞きたいことがある。 こないだ運座に行ってくれたよな、抜 きは出たか。 はい、おいでなさい。 出ました、巻頭の句は「おやのおん、 よるふるゆきにおともせず」。 巻軸は? 「おはらめや、けさあらたまのすそ ながし」。 宗匠、うまくまとめたな、もう一つ、聞きたいことがある。 運座 の前に、無尽が行ってくれたんだろ。 ようで、ございますが。 えっ、どこ に落ちた。 神社のイチョウの木に落ちました。 えーっ、何だって。 あれ はワワワさんに落ちました。 山田さんかい。 誰が何と言っても、山田さん。

 もう一つ、若宮町のおばさん、お土産に干物を持って来てくれたようだった が、何の干物だった? 魚の干物。 大きかったようだったが…。 ええ、鯨 の干物。 鯨の干物ってのがあるか、ムロアジか何かじゃなかったのか。 そ うです、ムロアジ。 どこにしまった。 もう寝かせて下さい、助けると思っ て、お父っつあん、お休みなさい。 どこだって。 大丈夫な所。 箱か? 下 駄箱。 干物を下駄箱に入れる奴があるか。 干物箱。 干物箱って、どんな 箱だ。 魚の形をした、鯛焼きのお化けみたいな。 鼠入らずだろう、ガタガ タ音がする、鼠に引かれるといけない、茶箪笥にしまうから、こっちへ持って 来ておくれ。

 ウーン、おナカが痛いんです。 具合が悪いのか、しようがねえ奴だ、薬を 持ってってやる。 アッ、アッ、上がって来るよ、桑原、桑原、桑原。 お前、 何で蒲団をかぶっているんだ、きたねえ足だな、頭隠して、尻隠さず、ケツっ ぺたにヒヨットコの彫り物、いつ入れたんだ。 何で、中で蒲団を押えている んだ、お父っつあんと力くらべか、エイヤッ! お前は、幸太郎じゃないな、 貸本屋の善公だな。 明けましておめでとうございます、昨年中はお世話様に なりまして…。 夜中に、年始に来る奴があるか。 お前はまた、うちの馬鹿 野郎に頼まれたな? ええ、馬鹿野郎に頼まれて…。

 (下から)善公、善公ォ、忘れものだ、紙入れを洋ダンスの抽斗に。 おい、 こら、馬鹿野郎! 帰ってきやがったな。 えっ、善公は器用だ、親父そっくり だ。

柳家喬太郎の「花筏」2018/03/09 07:11

 趣味が多様化しまして、スポーツもやる人、見る人、いろいろいる。 平昌 (ピョンチャン)オリンピック、スポーツには関心ないけれど、報道は見る。  平昌という字から、平尾昌晃を思い出す、お若い方は分からない。 噺家でも、 東京マラソンに出たり、サッカーや野球のチームがある。 男女混合バレー部 を作ろうという話があった、色物のお姐さんのブルマー姿が見たいという。 サ ークル活動もやろうという話になった、飲みながら…、オチケンを作ろうか、 いろんな問題が起きるからやめとこう。 相撲、報道でもいろんなことがある ようですが、東京場所だと必ず噺家が誰かいる。 市馬師匠、顔が大きい。 テ レビを見ていて、師匠が携帯のメールを確認したら…、私からです。 ジャス トのタイミングで、成功したい。

 親方、いらっしゃい。 提灯屋さん、仕事の方はどうかね、日にどのくらい 稼ぐ? 張って、張って、張り抜いて、二分になれば上々で。 実は、看板の 大関・花筏が患っていてね、銚子の村祭の花相撲で、十日間の約束をして半金 貰っている。 医者や薬で、金がもうない。 お前、ウチの大関に似ているな、 無駄にでっぷり太っていて、ゲジゲジ眉毛に金壺まなこ、鼻の穴が広がってい て、歯並びが悪い。 十日間付き合ってくれぬか、相撲を取るわけでない、先 方も大関の顔さえ見ればいいと言ってる。 見物し放題、酒飲み放題、飯食い 放題で、日に一両。 そんなに…、親方、親方、やりましょうかね。

 土地の力自慢、千鳥ヶ浜大吉が強いの、強いの、怪力で、玄人の力士相手に 九日間勝ちっぱなし、明日は千秋楽。 結びの一番、花筏には千鳥ヶ浜。 顔 色が悪いな、飯を食わんかい、酒飲まんかい。 お酒も、水も、半蔵門線も通 らない。 花筏って、私のことでござんしょ。 千鳥ヶ浜、化け物ですよ、殺 されますよ。 勧進元から話があってな、患っているというのに、三升の米、 三升の酒、土俵の脇でワアワア、キャアキャア言って相撲を見てる、相撲の取 れないわけがない。 心配せんでもいい、指一本でも体に触れたら、尻餅をつ いてしまえ。 病気じゃ、患っているんだ、大関の名に傷はつかぬ。 土地の 者も喜ぶ。 回しを取られたらいかん、その時は死ぬ、請け合う。 気迫で仕 切る、目を見てはいかん。

 済まないのは、千鳥ヶ浜の方。 お父っつあん、お呼びで。 大関を土俵の 土に沈めます。 毎日勝っているのは、お前の力だと思っているのか。 花相 撲だ、気付かせぬように負けてくれる。 本職は、はらわたが煮えくり返って いる。 独演会で地方に行くと、必ず土地に落語をやっている人がいる。 前 座に上がってもいいですか、と。 上手いんでね。 ドッカン、ドッカン、受 けてる。 それから一席やったら、あとで、僕とは演出が違うんですねって、 本当に言われたんですよ。 研究会で言うのは、やめようかと思っていたんで すよ。 何ですか、お父っつあん。 命を取っても、お咎めなしだ、遺恨、意 趣返し、お前は明日死ぬ、殺される、請け合う。 私は逆さま事は嫌だ、どう しても相撲を取りたいなら、勘当だ。 見物…、見るだけなら構わん。

 大吉さん、土俵に上がんなよ。 友達連中が、土俵に上げちゃう。 提灯屋、 思わず千鳥ヶ浜を見る、すげえ形相だ、殺される。 可哀想なのは江戸に残し て来た女房と子だ。 熱い涙がボロボロこぼれる。 南無阿弥陀仏。 花筏が 泣いてる、あ、そうか、俺を殺すのか。 親の言うことを聞いておけば、よか った、可哀想なのは両親だ。 南無阿弥陀仏。

 ハッケヨイ、ノコッタ! 提灯屋が手を出した。 相手が、尻餅をついてる。  提灯屋は、土俵をぐるぐる回り出した。 すごい張り手だったね。 張るのは うまいわけだ、提灯屋さん!

柳家さん喬の「抜け雀」前半2018/03/10 07:19

 弟子の喬太郎と、一緒に落語研究会に出たことはなかったという。 有難い ことだが、同じような色(くすんだ茶色と草色)の着物になるとは思わなかっ た、喬太郎は相談もしてこないけれど。 私の方は、軽くお聞き流しを…。

 前座の頃は、飛行機に乗れなかった。 師匠(五代目小さん)より三日前に 出て、函館から釧路へ二泊三日、駅に師匠を迎えに行って、顔を見たら涙が出 た。 帯広へ車で行くのに、師匠の方に日が当たる、代わりましょうかと言っ て、後ろの席で師匠と抱き合って代わった、いい思い出。 札幌で、北海道ら しいもの食ってないな、と師匠、蟹でも食べるのかと思っていたら、ピザパイ 屋に入った。 以前は、名古屋でも泊まりで、泊まってきゃあな、となった。  ツァー旅行では、添乗員が出発は3時30分でございますからと、時間を限っ てきちんきちんと移動する、チャップリンの『モダンタイムス』のように、そ れでいて、なぜかお土産屋は2時間、時間があったりする。

 相州小田原の宿に入ってきた、月代(さかやき)伸び放題、薄汚れた紋付の 男に、誰も声をかけない。 一文無しとわかっているようだな。 手前どもに お泊りいただけますか、と相模屋。 酒を飲むが、前金で百両も預けておくか。  お立ちになる時で、結構です。 案内せよ。

 お前さん、こっちへ来い! おかしいよ、二階の客、泊まって七日、酒三升 ずつ飲んで。 前金で百両預けるかというんで、お立ちになる時で結構って、 言っちゃったんだ。 酒代だけでももらっておいでよ、酒屋が現金取引なので と言って、五両もらったらどうだい。

 主(あるじ)か、酒、持って来い。 今までの酒代だけでも、払っていただ けると有難いんですが。 いかほどだ。 五両。 大きい方がいいか、小さい 方がいいか。 どちらでも。 大きい方は生憎ない、小さい方もない。 では、 中は? 大中小とない、ハハハハハ、一文無しの空っ穴だ。 あなた、お泊り の時、前金で百両も預けるか、とおっしゃった。 百両も置いたら、さぞ気分 がよかろうと思ってな。 一文無しだって言ったら、泊めたか? 泊めない。  どうするんです、あなたご商売は? 絵師、絵描きだ、狩野派の。 大工、左 官なら、家の普請や修理をしてもらえるんだが…。 いいことに気付いた、紙 はないか。 その衝立は何だ? 前に泊った江戸の経師屋がやはり一文無しで、 宿代の代りにつくった。 いいから、持って来い。 よい仕事をしておる、さ すがに一文無しで、旅をしているだけのことはある。 宿代の代りに絵を描い てやる。 けっこうです、あれは売り物で。 硯を持って来い!

あの絵師、なんで俺が大きな声に弱いって、知っているんだろ。 硯といえ ば水、間抜け、水を入れないで持って来る奴があるか。 どうせ間抜けです、 一文無しを泊めた。 貴様が墨を磨れ。 貴様が磨って、俺が絵を描く、それ が道理だ。 何だ、人を顎で使って。 いいから磨れ。 いい匂いがしますね。  鼻だけは人間らしいな。 取り出した筆に、墨をたっぷりつけると、息を飲ん で、一気に描き切った。 出来た、出来た!

主、どうだ、見ろ。 だから、描いちゃあいけないって、言ったんです。 何 ですか、これは? 雀だ。 言われりゃあ、雀だ。 五羽だ、一羽一両。 表 の鶏屋では、こんなに大きな軍鶏が買える。 類焼の類は致し方ないが、売却 はいかんぞ、衝立を預けておく。 下でパアパア言っているのは、誰だ? 家 のかかあで。 ひどいものと一緒になったな。 私は必ず戻る。 それまでに 客あしらいがよくなるように、しておけ。

お前さん、どうしたい? 私の言った通り、お金、預かったのかい。 言っ た、言った。 大中小とない、一文無しだった。 アハハハ、汚いなりをして いたからね。 絵描きで、経師屋の衝立が気に入った。 うーーん、あれは売 り物だよ。 宿代の形(かた)に、衝立に雀の絵を描いた。 五羽で、五両、 ごめんと出て行った。 馬鹿ァーー、私は知らないよ、もう寝るよ、お前さん 一人で働いておくれ。