入船亭小辰の「蟇の油」2018/04/01 07:17

 3月30日は第597回の落語研究会だった。 国立劇場前の桜は、染井吉野 より早く咲く駿河桜はもう葉っぱを出していたが、ウスベニシダレが満開で一 番見事なところだった。

「蟇の油」     入船亭 小辰

「稽古屋」     柳亭 こみち

「宗珉の滝」    古今亭 志ん輔

       仲入

「粗忽長屋」    桃月庵 白酒

「千早ふる」    柳家 小三治

 マスタミ(升民)! と声がかかる。 実家が大塚の酒屋で、その屋号。 声 をかけてくれて有難いけれど、一人も買いに来ない。 国の宝は、まだいらっ しゃっていません、と始めた。  一昨年の暮、インフルエンザにかかった。 かかりつけの町医者へ、女医さ んなんだけれど、いつもマスクをしている、マスク美人。 風邪ですね。 お 腹も下すんですが? ただの風邪です。 一応、検査をして下さい。 (検査 をしたら)インフルエンザでした、検査してよかったですね。 三日位外に出 ないで、十日ばかり人前に出ないように。 十日となると、ちょっと困るんで すが。 どういうお仕事? 落語家です。 あらそう、どうでもいいんじゃな い。 町医者だから、待合室にいると中の話が聞こえる。 いつも来るあの人、 落語家なんだって、落語家って、本当にいるんだ。

 浅草の奥山、両国の広小路、見世物小屋がある。 ピンからキリまであって、 「六尺の大いたち」「妖怪ベナ」なんか、アメリカだと訴えられる、日本はおだ やか。 「弘法の石芋」をご存知か。 おばあさんが祖谷渓で芋を洗っている と、通りかかったお坊さんが食いたいので一つくれと言った。 婆さんが、こ れは芋でなくて石だと、断わった。 坊さんは怒って、芋を全部石に変えてし まった、坊さんは弘法大師だった。 婆さんが頼んでも、一度石に変えたもの は、元に戻らない。 その石には効用がある、頭痛、腹痛、胆石などに効く。  削った粉を、南無大師遍照金剛と唱えて飲めば、たちどころに治る。 これは 効くんだと、サクラが買うから、みんなが買う。

 同じような話がある。 女房が豆を煮ていると、通りかかったお坊さんが食 いたいといったけれど、これは馬にやるものだと、断わった。 坊さんは弘法 大師で、杖を一振り、女房の亭主を馬の姿に変えてしまった。 女房が頼みこ んで、顔や手足はどうにか元に戻っていった。 股のところにきた時だ。 女 房、股だけは、そのままにしておくれ、と。 老舗の会でやる咄じゃない。

 浪人風の男、膏薬を入れる貝殻、棗の中に膏薬、ひからびたような蟇(がま) 五、六匹を並べて、「その線まで下がって。 さあ、お立会い、御用とお急ぎで ない方は、ゆっくりと聞いておいで。 手前取りい出したるは、四六のガマだ。  四六、五六はどこでわかる。 前足が四本、後足が六本、これが四六のガマだ。  このガマの棲める所は、これよりはるか北の筑波山の麓。 オンバコという露 草を食らう。 このガマの油を取るには、四面に鏡を立て、下に金網、その中 にガマを入れると、ガマは鏡に映るおのれの姿を見て驚き、タラーリタラーリ と脂汗を流す。 それを柳の小枝で、三七二十一日の間、トローリトローリと 煮詰めたのが、このガマの油だ。 金創(きず)に、切り傷、出痔、いぼ痔、 はしり痔、ヨコネガンガサ、腫れ物、その他下(しも)の病、一切に効く。 (刀 と一枚の紙を取り出し)切れ物、氷の刃だ、一枚の紙が二枚、二枚が四枚、四 枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚、三十二枚が六十四枚、六十四枚 が百二十八枚、三月落花の形、比良の暮雪は雪降りの形だ。 これほど斬れる 業物でも、(腕を出し)ガマの油をひと塗りすれば、この通り、叩いても、引い ても、斬れない。 拭き取るとどうなるか、触っただけで、ほらこんなに斬れ る。 だが、お立会い、ガマの油をこうして付ければ、痛みが去って、血がピ タリと止まる。 生薬屋の店頭では、ひと貝十六文だが、ここでは十文」。 た ちまち、売れる。 (小辰のガマの油売りの口上、テンポもよく、見事だった。)

 たくさん売れて気をよくしたガマの油売り、居酒屋でほうれん草のお浸しか なんかで一杯やった。 酔っ払って、もう一度、売りに出る。 「前足が六本、 後足が四本」「棲める所は、これよりはるか南の高尾山の麓……子供、うるさ い!」「四面に金網、下に鏡、鏡に映ったおのれの姿に……子供、うるさい!」 「アーーア(と、眠くなる)」「生薬屋の店頭では、ひと貝十六文だが、ここで もひと貝十六文」 (刀を抜くが)これは中身のない刀、こちらで「一枚の紙 が二枚、二枚が四枚、四枚が五枚、五枚が六枚……騒ぐな、子供たち!」 「こ れほど斬れる業物でも、ガマの油をひと塗りすれば……、斬れた! だが、ガ マの油を付ければ、止まらない! 磨り込めば、止まらない! どんどん塗る が、止まらない! お立会いの中に、血止めのご携帯はないか。」

柳亭こみちの「稽古屋」2018/04/02 06:59

 柳亭こみちは女流、昨年秋真打昇進した。 落語研究会でずっと演りたかっ た「稽古屋」を演れる、噺家人生、今日の為にあった。 研究会を愛し、高座 返し、下座の太鼓など打って十数年、お客様がどこに座るか、どなたが寝るか、 みんな知っている。 気合を入れて、髪もきれいな七三に分けて来た。 スタ ッフもお馴染みで、大恩人のプロデューサー今野徹さんがいらっしゃらないの が残念(昨年暮亡くなった)、お世話になっていて、妊娠を最初に告げたのも今 野さん、今野さんの子じゃないけれど。 鳴り物の太鼓は、噺家の必修、太鼓 が上手くなると、噺も上手くなる、比例すると言われている。 例外もあるけ れど。 太鼓は大小あるが、難しいのは大きい方、おおど、大太鼓。 掃除の 「はたき」を左手でかける。 撥(ばち)二本を均等に打つのが難しいので、 「はたき」と靴ベラを持って掃除する。 日常生活に活かして下さい。 プロ グラムの長井好弘さんのコーナー(当世噺家気質)に出るのも初めて、連れ合 いとの馴れ初めまで書いてくれた。 2006年に二ッ目になって、落語協会の若 手野球部に入ったが、対戦相手の漫才チームの捕手だった。 人生のヒット、 寄席の関係者で結婚したい女性は、こぞって野球を始めた。

 こんちは、隠居さんいますか。 八っつあんかい。 仲間で女をこしらえた り世帯を持ったりするのがいる、あっしはどうして女ができないか訊きに来た。  無理もない、持てる要素がない。 一・見栄、二・男、三・金、四・芸という な。 一・見栄、なりかたちだな、着物の格子が荒い、帯も太い、足袋も白で も黒でもなくて灰色だな、ちびた下駄、地べたに鼻緒を据えたような下駄は駄 目だ。 二・男、顔かたちだ、富士額(びたい)っていうが、それオデコかい、 猫より狭い、右はゲジゲジ眉で、左は波打っている。 三・金、一番よくない、 お前のあだ名は「潜水艦」、「ナミノシタ」だ。 持っているよ。 どれだけ、  世捨て人みたいなもんだろ。 婆さんが聞いている、女はおしゃべりだ、夜中 に手拭いをかぶった奴が来て、出刃包丁でブスッとやられる。 婆さん、湯へ 行け。 猫が聞いてる。 おい、あっちへ行け。 猫も追っ払った、いくら持 ってる? 三十銭。 ただの三十銭、引っ叩くよ、子供だって持ってるよ。

 四・芸、何かあるか。 芸? かくし芸だ。 知ってるでしょ、湯屋で見て、 毛深い。 芸だよ。 米屋の角を曲がって三軒目、御神燈が下がっているとこ ろに五目の師匠がいる。 わしも清元を習ってる、女師匠だ。 年は? 二十 六。 あっしは二十九、三つ違いだ。 器量は? 十人並み以上だ。 ひとり もんか? おっ母さんといっしょに住んでる。 行く、行く、今すぐ。 月謝 と膝付、膝付というのは入門料だ、月謝一円と膝付の一円、二円貸してあげる。  膝付は受け取らないから、すぐ持って戻って来い。

 米屋の角を曲がって御神燈、三味線の音がする。 岩田の隠居に聞いて来た、 あなた二十六ですってね、愛想がいい、ひとりもんですってね? 売れ残って。  月謝と膝付です、膝付は受け取らないそうで。 ところが、町内の棟梁に叱ら れまして、江戸っ子が一旦出したものだからってね、頂くことにしてます。

 お下地はありますか? いい塩梅に、野田に親類がいて。 今日は初回だか ら、清元の「喜撰」を。 おしょさん、お願いします(と、声をかけると、三 味線が鳴る)「♪世辞で丸めて浮気でこねて、小町桜の眺めに飽かぬ…」。 こ こまで、お願いします、ヤーー、オイ! 大胆な呼びかけで。 きっかけです。  (調子っぱずれで、一本調子に)セジデマルメテ……ウウウ。 一息は無理、 息を継いでください、和田アキ子じゃありませんから。 セジデマルメテ…… ウウウ。 わざとやってるでしょ、あなた、節を付けて。 (浪曲の節で)セ ジデマルメテ……。 浪花節じゃありません。 口三味線でやりますか。 脇 で、待っていて下さい、子供衆の稽古がつかえていますから。

 みぃちゃん、ご挨拶、手を三角にして、そう、道成寺の手鞠唄から、テンツ クテン、ヤー、テンツルテン、何、袂(たも)がブラブラしているのは、大き なお芋、いけません、そんなもの持ってきちゃあ。 出しなさい、脇に置いて。  はい、お鞠をついて、回って、花びらをすくいます。 クルッと回って、はい、 そうよ。 みぃちゃん、どうしたの、急にベソかいたりして。 さっきのおじ さんが、私のお芋食べちゃって。

 はい、二度目のテンツクテン、ヤー、テンツルテン、花の都は……、合わせ 鏡を…。 みぃちゃん、何、どうしたの、急に笑い出したりして。 さっきの おじさんが、足の臭いを嗅いでる。 あなた、何してるんです。 納豆こぼし まして、踏んずけちゃって。 テンツルテン、かむろさん、はい、お鞠を一、 二、三とついて、よく出来ました。 ありがとうございました。

 おじちゃんの番です。 清元は性に合いません、別のを、お願いします。 で は上方の二上がりの曲で「すりばち」、「えー、海山を越えてこの世に住みなれ て、煙が立つる、しずのめの……」、風に向って大きな声を出せば、声がふっ切 れるから、声がふっ切れたら、またいらして下さい。

 八っつあん、大屋根に上がって、「えー、海山を越えて! 煙が立つ! 煙が 立つ!」 源ちゃん、火事だってよ。 方角はどっちだ? 海山を越えて! そ んなに遠くっちゃあ、行けねえや。

 こみちの「稽古屋」、満を持し、気合を入れてきたというだけに、清元や唄、 みぃちゃんの踊りなど、こちらは門外漢ながら、相当の稽古の成果が感じられるものであった。

古今亭志ん輔の「宗珉の滝」前半2018/04/03 07:15

 弥生町! と、声がかかる。 近頃、テレビで「何とか女子」と言う。 相撲 女子、歴史女子、武将女子。 詳しいんで。 あれは女子だからいい、男子だ とオタク。 町おこしで、武将をイケメンがやったりするけれど、あんな顔じ ゃなかったんじゃないか、真田幸村、織田信長とか。 四谷に刀剣博物館とい うのがあって、両国に引っ越した。 詳しい女子がいる、波線がない一派がい るとか、この一派はどうだとか、波が難しい。 刃物は怖いけれど、装飾を見 に行った。

 刀と太刀は違うそうだ。 山型に反っているのが刀、谷型が太刀。 騎馬戦 で抜きやすいのが太刀。 地上で帯に差して抜きやすいのが刀、みたいなこと になる。 装飾がきれい、鮫の皮や組紐を使ったり、目貫(めぬき)という柄 (つか)の側面につける飾り金物を、いろいろと塩梅している。 戦わない、 儀式に出る時に差すもので、凝る、贅を尽くす。

 金工職人、腰元彫りの名人、横谷宗珉の弟子、宗次郎が破門されて三年、紀 州は熊野権現前の旅籠、湯浅屋に泊まっている。 主人が自分で挨拶に出る。  江戸の方だそうで。 ここが気に入った、もうちょっといようと思う。 酒を 飲んでゴロゴロしていないで、どこか見物でもしたら、いかがで。 折角だけ ど、いいや。 花より団子、懐が寂しいのだ。 どう寂しいんで? 世の中に これほどはないというほど、寂しい。 宿賃は払えますか? そう思うかい。  思いたい。 人を見る目で、のし上がって来たようだな、でも河童の川流れ、 百足も転ぶということがある。 落ち着いてるね、開き直りですか。

 十日、経っちゃった。 商売は何です? 居職じゃないのか、手を見せて。 金 物を扱う、腰元彫りだ、コツコツ細工をする。 見たいね、何か持ってるかい。  小柄(こづか)、虎が彫ってある。 何で死んだ虎を彫ったんだ、死んでるね。  そう言ったのは、ウチの師匠の宗珉と旦那の二人だけだ。 その虎を彫ったか ら破門された。 虎は百獣の王だ、教え甲斐がない。 生きている虎を彫れ

るようになったら、帰って来い、と。 奈良の瑞厳師匠に教えてもらおうとし たけれど、七十いくつで亡くなっていた。 食うには困らない、仲間の所へ行 けば仕事はあるが、仕事が荒れる。 旦那にお願いしたいことが起き上がった。  俺の師匠になってくれないかい。 虎が死んでると言ったのは、師匠の宗珉と 旦那の二人っきりだ。 何んでも言って下さい、旦那が気に入るものが彫れる ようになったら、帰れるから。 手を上げてくれ、弱ったね、はい分かりまし たって引き受けるけど、私は素人で、お前さんは玄人だ。 下に六畳二間があ る、それを使ってくれ。 妙な師弟が出来上がった。

 横谷宗珉、「錦明竹」という噺に出て来る。 それに気が付いた時、がっかり した。 私は「錦明竹」をやらないんで…。 「ちょっと、ごめんやす。わて 京橋中橋の加賀屋佐吉方から参じました。 先だって仲買の弥市を以て取次ぎ ました道具七品、祐乗宗乗光乗三作の三所物、刀身は備前長船の住則光、横谷 宗珉四分一拵小柄付の脇差、柄前は埋れ木じゃと言うてでございましたが、あ りゃあたがやさん(鉄刀木)で木ィが違うて居りますさかい、ちょっとお断り 申し上げます。」 ここんとこですよ。 三所物(みところもの)というのは、 刀剣の付属品である目貫(めぬき)、笄(こうがい)、小柄(こづか)の三種。  目貫は、刀剣の柄の側面につける飾り金物、穴が二つ空いていて、刀身を固定 させる目釘の鋲頭や座の飾りとする。 笄は、刀の鞘の差し表に挿む箆(へら) に似たもの。 四分一拵小柄付の脇差という、小柄は、刀の鞘の鯉口の部分に さしそえる小刀(こがたな)の柄、また、その小刀。 四分一は朧銀(ろうぎ ん)、銅三に銀一の合金。

 物が金属だから、彫っていて失敗したら、どうすんのか? 最初から、やり 直す。 鈑金やパテで埋めるなんてことはしない。 やぁーーでしょう。 だ から、奴さん、大変、何日も何日も彫っている。 ウサギだ、生きているな、 だが何か気に入らない。 可愛い。 いけない、可愛いを、頭に置いて作った ところが、あざとくなる。 何十日もかかって作ったものを、壊して、また何 十日も。 よくなったね、こまかく震えているようで、可愛い。 でも、目が 死んじゃった。 だんだん、旦那の目に叶うようになってきた。

古今亭志ん輔の「宗珉の滝」後半2018/04/04 06:33

 紀州和歌山藩の重役、木村又兵衛が湯浅屋に泊まり、細工している音を聞き つけて、彫金師が泊っているのか、と聞く。 横谷宗珉の弟子で、若 いが結構な物をつくります。 殿のご機嫌のよい時に、話をしてみよう。 木 村様から、そういうお話があった、精進いたせよ!  長いトンネルを抜ける と、原っぱに出る。 慢心はしないが、安心する。 宗次郎は、止めていた酒 を飲む。 昼の酒は、実に美味い。 渋谷、円山のおでん屋、外に仕事してい る足が見えるところで、蟹味噌でぬる燗なんて、たまんないでしょ。 ホッピ ーもいい、モツ焼きで。 木村様から提案があった、紀州のお殿様の小柄に不 動明王を、鍔(つば)に那智の滝を彫れ、と。 これが師匠の耳に入ったら、 江戸に戻れる。

 駄目なのは、酒を止めないこと、酒込みで100%だ、と。 NHKで賞を取っ た二ッ目の気持。 生涯日本一だと思ってしまう、これが罠。

 旦那、これならどうにか納まりますかな。 木村様、いかがでしょう。 ち ょっと待て。 いかんな、殿様は沓脱ぎに叩きつけられた。 何が悪いのかは わからぬが、いま一度同じ男に彫らせてみろというお言葉だ。 今度こそ、酒 を飲むな、精進潔斎して、身を清めてから、仕事にかかれ。 素人は、そう言 う。 酒を運ばせながら、彫ったのを、今度はいかがでしょう、と届けた。 い かんな、殿様は泉水に放り込まれた。 だが、同じ男にもう一度とのお言葉だ。  もうおよしになった方がよろしいのでは、木村様にご迷惑をかける。 いやで すとは言えない、ただ紀州の殿が何で、一人の職人にそんなに気を入れるのか。  宗次郎をお試しになっているのだろう。

 わかったよ、今度こそ。 酒を好きなだけ飲みな、飲んだら出てけ。 宗さ ん、怖いんじゃないのか、まだ若いんだろ、一から出直しなさい。 人生にい っぺん、まともに向かわなければならないことがある。 ごめんなさいませ。  宗さん、どこへ行く。 藤吉、見て来なさい。 駄目です、帰れない、旦那の 顔を立てるまでは家に帰れないって言って、滝を見てました。

 宗次郎は二十一日間、滝に打たれて、断食をすると、サブザブ滝に入って行 った。 よく宗さん、踏ん切ったね、私もやりますよ、断食を。 お前さん(女 将)も、店の者もみんなだ。 藤吉を呼びなさい、お前さんも、お客さんもや るんだよ。 権現さま、宗次郎が無事に帰りますように。

 祈りが通じたのか、宗次郎が帰ってきた。 宗さん、ちょっと体を戻してか ら、彫ったらどうだ。 今、絵があるんだよ、この絵が消えない内に、かかり たい。 旦那、宗さん陰気ったらありゃあしない。 八日目の朝、出来たか、 今度こそ納まるよ。 納まらなかったら、いっしょに死ぬ。

 今までで一番ひどいようだが、行ってくる。 木村様。 雑だな。 殿様は 書見している。 木村又兵衛は、気が気じゃない。 ウーーン、又兵衛、見事 である。 これを見よ、今までのは、きれいに仕上がっておった。 ここから 出ておる、念というか、気というか。 見ろ! 懐紙に、滝の図の鍔から水が 走った。 宗次郎と申す者、目通り許す。 百石で紀州家お抱えとなり、後に 二代目横谷宗珉を許される一席。

桃月庵白酒の「粗忽長屋」2018/04/05 07:17

 思い込みは怖い。 6時半の開演を、7時のつもりでいた。 6時になった ら、着物つくろうか、と。 気付いて、出番は何番目、慌てた自分が悔しい。  観る方で通っていた頃は、6時開演だった。 それで7時と思い込み。

 寛容な心が大切。 噺をしていて、ネタがつく、ってことがある。 お客さ んが、クスクス笑い出す。 覚られたか。 そこをカットしたら、サビにつな がるところだったりする。 気づいたお客さんが、クスクス笑い出す。 寛容 さが大切。 周りが見えなくなる。 前座の頃、師匠の家で外の掃除をする。  アスファルトにくっついたガムを針金でほじったりしていると、面倒くせえな あ、お前は、って言われた。 いざ、弟子を取ると、言わなきゃあわからない んだなあと、わかる。 エジソン、天才と言われるが、研究に夢中になると、 自分が誰だかわからなくなる。 郵便配達が、エジソンさんいますか? いま せん。 途中で、薄々感じるけれど、認めたくない。 傍目から見ると、面白 いけれど、身内は大変だ。 マンションで、燃えるゴミは月・木ですよ、って 言われているのに、燃えるゴミは、金・土でしたっけ、と。 そういう方達が 集まってくると、素敵な社会が出来上がる、長屋でも…。

 雷門の前に人だかり。 イキダオレ。 江戸っ子のフラメンコか、粋だ、オ ーレ! 人の股ぐらをくぐって、前へ出る。 すいません、遅くなりました。  今、来たら、イキダオレだそうで、まだ始まらないんですか? 始まる? どち らかというと、終わっているんじゃない。

 日本一! たっぷり! 見世物じゃない、死んでるんだよ。 イキダオレが、 死んでるってのは、頓智ですか。 見ちゃって、いいんですか。 どうしたん だい、この人を知っているのかい。 死んでる、こいつはお隣さんで、兄弟同 様にしてる。 兄弟同様なら、引き取ってもらうわけにはいかないか。 しょ せんは、赤の他人ですからね。 今朝も、こいつに会ってね。 じゃあ違う、 ゆんべからここに倒れているんだ。 会ったんだから、仕方がない、こいつは 熊の野郎だ。 違う、違う。 そこまで言うんなら、当人を連れて来ます。 ち ょっと、待って。 皆さん、笑ってないで。 早く戻ってらっしゃい。

 熊ーーッ! 熊ーーッ! 兄貴、何やってんだ、空家を叩いて。 熊なんて 野郎が、この長屋にいるか…、アッ、俺が熊だ。 お前は、ゆんべ、浅草で死 んだよ。 初耳だ。 浅草へ行ったら、お前が死んでた。 元気だったか。 元 気なわけはない。 ゆんべ、どこへ行った? 吉原ひやかして、馬道へ行って …。 これから行こう。 今さら、俺の死骸に会ってもな。 当人を連れて来 るといったら、当人という言葉に、向こうの人も言葉につまった。 これから 弔いだよ。 お前も働けよ、当人だしな。

 本当に連れて来ましたよ。 どうも、先ほどは。 何やってんだ、恥ずかし がって、お世話になったんだ、挨拶しろ。 すみません、私、ここで、倒れて いたそうで。 これ、俺? 顔、こんなに長くないよ。 夜露を吸って、伸び たんだ。 ゲジゲジ眉に、鼻が胡坐をかいていて、口は受け口だ、俺より兄貴 に似ている。 エッ! そうか……、俺です。 動かすんじゃないよ。 倒れて いるのは俺だが、引き取って行く俺は、誰だ。