<八月や六日九日十五日>という俳句2018/04/08 07:14

 2月25日の「等々力短信」第1104号<時ものを解決するや春を待つ 虚子 >に本井英主宰の「旧正月のこと」が掲載されたと書いた朝日新聞朝刊「俳壇 歌壇」のコラム「うたをよむ」だが、3月26日は小林良作さん(俳人協会会員) の「「八月や」が伝えるもの」だった。 小林良作さんは、<八月の六日九日十 五日>と、先の大戦によるご自分の家の辛苦を詠んだ句を所属結社に投句し、 類似句があると指摘されたことから、初作者と作句の背景を追い、一昨年(2016 年)『八月や六日九日十五日』という本にまとめた。 この句は、無名の多くの 人々に詠まれてきたという。 上五には「八月に」「八月は」などもあるが、大 半は「八月や」だそうだ。

 実は、私も<八月や六日九日十五日>という句を詠んでいた。 『夏潮』2013 (平成25)年8月号の課題句の兼題が「八月」で、八月といえば敗戦の八月十 五日だと思い、あれこれ考えている内に、六日九日の広島長崎の原爆記念日を 思い出したのだった。 自分では、うまくまとまったと思って投句し、掲載さ れていた。 先行句のあることは、まったく知らなかった。

 私は、小林良作さんのご本『八月や六日九日十五日』(「鴻」発行所出版局・ 平成28年7月)のことを、『夏潮』のお仲間、前北かおるさんのブログ「俳諧 師」2016年8月15日の「小林良作『八月や六日九日十五日』」で知った。 小 林良作さんは、上記の句を「鴻」の全国大会に投句し、事務局から先行句の存 在を指摘されたことをきっかけに、先行句と作者を探し、その調査レポートを この本にまとめた。 この句の句碑が大分県宇佐市にあることから、広島県尾 道市の医師だった故諌見(いさみ)勝則氏が1992年に詠んだのが最初らしい と突き止めて、現地に行ったりしているという。 前北かおるさんは、この句 をどこかで読んだことがあったような気がすると書いていたので、私は『夏潮』 の課題句に投句して掲載されたので、その句かもしれないと、コメントしたの であった。

 そこで、小林良作さんのコラム「うたをよむ」だが、本の出版後も新たな情 報が寄せられ、今は故小森白芒子(はくぼうし)氏の(1976年作句)までたど ることができたという。 小森氏は終戦時、対中国放送に従事しており、上記 の諌見氏は海軍兵学校にいて広島上空の原爆雲を目の当たりにし、後年、医師 として長崎と広島の被爆者に関わった。 小林さんは調べるほどに、初作者を 追うことを超えた大事なことに気付かされる。 単純に月日を並べたかに見え る、この句から、歴史的事実の重大さと、それぞれの作者が遭遇した深く重い 人生を読み取れるのだ。 改めて俳句の持つ力を思い知った、という。

  <八月や六日九日十五日  詠み人多数>

 小林さんは、結論に書く。 「この句は日本の過ちを記憶し、非戦平和を希 求する人々の心に刻まれ、伝えられてきた。その過程に教育者がおり、心ある 市民がいた。今後も歴史を証言する「日本人の口の端に上る句」として、次の 世代に伝えられることを願ってやまない。」

 「八月や」の句を評価する俳人も少なくない一方、月並(つきなみ)俳句の 代表例に挙げる俳人もいるそうだ。 私の句などは、月並俳句、プレバトの夏 井いつきさんなら「凡人」に査定されるかもしれないけれど、せめて「心ある 市民」の末席にでも加えてもらえたら有難い、と思った。

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