吉永小百合の映画『北の桜守』2018/04/09 06:57

 吉永小百合主演の映画『北の桜守』を観た。 滝田洋二郎監督、那須真知子 脚本、挿入されるミュージカルの舞台演出をケラリーノ・サンドロヴィッチ。  昭和20(1945)年5月、南樺太で製材所を営む江蓮(えづれ)徳次郎(阿部 寛)の家の庭で、妻のてつ(吉永小百合)が本土から種を取り寄せ手塩にかけ て育てた北限の桜が、初めての花を開いた。 「桜が満開になる日は、生涯で 一番大切な人に逢える」、「満月の日に、桜は満開になる」といわれる。 終戦 目前の8月9日、ソ連が突如対日宣戦を布告、ソ連軍が南樺太にも侵攻してき た。 徳次郎は国民義勇軍に出征することになり、妻と二人の息子、清太郎・ 修二郎に、北海道へ急いで逃げて、網走にいる知り合いの所へ行くように指示 する。 「家族四人、満月の夜、桜の下で会おう」と約束して、表札を妻に渡 し、清太郎には「母と弟を守れ」と言う。 命からがら網走に着いた、てつと 修二郎は、厳寒と極貧の中、おにぎり居酒屋をやって、夫との約束を胸に懸命 に生き延びる。

 いじめられながらも新聞配達をして家計を助け、18歳で単身アメリカに渡っ た修二郎(堺雅人)は、現地で成功し、昭和46(1971)年、15年ぶりに、「ミ ネソタ24」日本社長として、札幌にホットドック&コンビニの一号店を開店す るため帰国する。 「ミネソタ24」大株主岡部大吉(中村雅俊)の娘でアメリ カ育ちの妻、真理(篠原涼子)を連れて。 網走に訪ねた母てつは、市から古 い住居兼店の取り壊しと退去を迫られていた。 修二郎の送金は、すべて貯金 していた。 母の様子がおかしいことに気付いた修二郎は、札幌の家に連れ帰 り、一緒に住むことにするのだが、新業態立ち上げに奮闘している多忙な中で、 母と妻の育った風土や性格の違い、さらには母の行動に悩まされることになる。

 母てつが1か月で、突然、失踪する。 網走への途中の駅で、母を見つけた 修二郎は、そこが昔、二人でヤミ米を運んでいて、警官に追われ、その一人南 樺太の駐在だった山岡和夫(岸部一徳)に見逃がされた場所だと気づく。 て つと修二郎は二人で、北海道の各地を巡り、共に過ごした頃の記憶をたどり、 戦後の苦難の中で手を差し伸べてくれた人たちとの再会を果たしてゆく。

 てつが毎年祈願に登っていたという海に面した切り立った崖の神社は、道南 五大霊場の一つ、北海道の一番西、「日本一参拝が危険な神社」という、せたな 町太田山神社でロケが行われたようだが、さすがに吉永小百合は代役だったら しい。 この神社、円空が籠って円空仏を彫ったというのを日曜美術館で見た ことがあるような気がした。

 ヤミ米屋の大将で、母子の面倒を見、修二郎が母は再婚するのかと思ってい た菅原信治(佐藤浩市)は、運送屋の社長になっていて、プロポーズをしに訪 ねると、てつが白い喪服を着ていた、と話す。 何かと親切にしてくれる元駐 在の山岡は、夫・江蓮徳次郎と国民義勇軍で一緒で、15人だったかで共にシベ リアに抑留され、実は仲間を密告して裏切り、ひとり助かっていたのだった。  てつが倒れて入院した病院で、三田医師(永島敏行)は、認知症でも、悪い病 気もない、何か精神的なものでないか、と言う。 てつは、南樺太からの引揚 船が、潜水艦の魚雷を受けて沈没、長男の清太郎が、目の前で沈んで行くのを 目撃していたのだった。 その病院から、てつが雪の中へ姿を消してしまう。

 二年後、てつらしい人がいるという情報がもたらされる。 桜を守っている、 と。 今年の東京の桜は、3月31日、満月の日に、ほぼ満開だった。