『社会学』の落語、落語は「社会学」2018/04/29 06:29

 加藤秀俊さんの『社会学』には、随所に落語の話が出て来る。 嬉しいこと である。 初めにふれた、落語でいえば横町の隠居のようなひとである「世間 師」、市井の「社会学者」の、現代におどろくべき一例として、小沢昭一が採集 した落語家二代目桂枝太郎の生涯が紹介されている。

 「明治28(1895)年生まれの枝太郎は、青山学院から明治薬専(現在の明 治薬科大学)にはいり、工業薬品の会社を経営しようとするが、横浜のインド 人の店ではたらき、人妻と駆け落ちしようとしたら電車のなかで知り合いの落 語家に会って弟子入りしたものの、満足がゆかず、薬科学校の学歴を活用して、 無資格で町医者の代診。そのあとこんどは東芝に経理見習いで入社。関東大震 災のとき、焼け跡の会社の金庫のうえで弁当を食べていたら、その姿が社長の 目にとまり、その忠誠心をみとめられて、すぐに四日市の工場長。やがて本社 の経理部長にまで出世するが、また落語家に戻って浅草演芸ホールを設立した。 そのかたわら航空学校の一期生として操縦を学んで航空評論をしたり、あるい は川柳協会の理事をつとめたり、人生まことにめまぐるしく、その物語を読ん でいるだけで目がまわる。」

 第四章「組織――顔のない顔」。 中根千枝さんの『タテ社会の人間関係』 (1967年)以来、「タテ社会」ということばが一人歩きして、日本文化は「タ テ」関係だらけと理解するひとがおおいけれど、ただしくない。 歴史的にみ て、東日本では「タテ型」が支配的だったが、西日本では「ヨコ型」が優勢だ。 その一例として、こうある。 「江戸落語では「大家といえば親も同然、店子 といえば子も同然」というが、それをきいた京都の友人たちは声をそろえて、 そんなことはあらへん、家の貸借は「契約」やないか、といって笑った。江戸 の「タテ」哲学と西日本の「ヨコ」哲学がそこにみごとに対比されているよう にわたしはおもえた。」

 「講」というのも日本の「ヨコ」型結合の典型だったというところには、落 語の「大山詣り」が出て来る。 「江戸の庶民のあいだでは、とにかく大山詣 りをしなければ一人前の男ではない、という成人儀礼のような意味もあって、 年間、百万人にちかい参詣客が「講」をつくり「大山街道」をあるいた。」

 第五章「行動――ひとの居場所」。 江戸落語でおなじみの八、熊の住む裏長 屋、九尺二間の広さが出て来る。 「メートル法でいうと二・七メートル×三・ 六メートル。」面積は「十平米」。 『方丈記』鴨長明の住まい、一辺が一丈(三 メートルほど)の正方形、面積「十平米」と同じだ。

 第六章「自我――人生劇場」。 日本の伝統芸術は「義理・人情」抜きには語 ることはできない。 落語では、『品川心中』。 「変装文化」とでもいうべき ものが大衆文化の伝統だった。 江戸中期から、たとえば花見の趣向などの需 要にこたえて変装用の貸衣装屋があった。 そのありさまは落語の「花見の仇 討ち」などでおなじみ。

 第七章「方法――地べたの学問」。 「第二のふるさと」でみごとな発見をの こしたフィールド・ワーカーがいる、そのひとり。 イギリスの社会学者ロナ ルド・ドーア(Ronald Dore)は東京の下町に暮らし、落語家に弟子入りして 芸名までもらった。