野間記念館の「近代日本画壇の精鋭たち展」2018/05/16 06:37

 「講談社野間記念館」は、春季展「近代日本画壇の精鋭たち展」を開催中で ある(5月20日まで)。 題に冠せて「横山大観 竹内栖鳳 川合玉堂 をはじめ とする、」とある。 これが、なんとも素晴らしかった。  講談社野間記念館は、2000年4月に講談社90周年事業の一環として設立さ れた。 展示品は、講談社の創業者・野間清治が、大正期から昭和初期にかけ て収集した美術品を主体とする「野間コレクション」であり、他の二つの柱と して「出版文化資料」、「村上豊作品群」も所蔵しているという。 野間清治(の ま せいじ)は、明治11(1878)年に桐生の教員住宅で生まれ、群馬県尋常師 範学校(現、群馬大学教育学部)を経て、東京帝国大学文科大学(東京大学文 学部)第一臨時教員養成所国語漢文科を出て、沖縄県立中学校教諭、沖縄県視 学(地方教育行政官)、東京帝国大学法科大学首席書記を歴任した後、明治42 (1909)年に大日本雄弁会を創設、明治44(1911)年に講談社を創業、雑誌 『講談倶楽部』を創刊した。 『少年倶楽部』『面白倶楽部』『現代』『婦人倶楽 部』『少女倶楽部』を次々に発刊して成功、大正14(1925)年に両者を統合し 大日本雄弁会講談社と改称し、創刊した雑誌『キング』が爆発的に大ヒット、 一時は日本の全雑誌発行部数の7割を占め、「岩波文化」に対比して「講談社 文化」ともいわれる独特の大衆的文化をつくりあげた。 報知新聞社の社長を 務め、キングレコードの経営にもあたった。

 そこで「近代日本画壇の精鋭たち展」である。 「野間コレクション」の時 期は、文部省主催の文展と、帝国美術院主催の帝展を主舞台とした東京画壇と 京都画壇、さらに横山大観率いる日本美術院が鼎立し、さながら百花繚乱の様 相を呈していた時期であり、その近代日本の絵画革新運動を牽引してきた画家 たちの作品が展示されている。 第1室の「横山大観と東京の画家たち」を一 見しただけで、「これは凄い」「いいものを観た」と思った。 横山大観の六曲 一双≪松鶴図≫を中心に、前田青邨≪羅馬へのおとづれ≫≪三武人≫、小林古 径≪売茶翁≫、安田靫彦≪観音≫、下村観山≪竹林賢人≫≪寿老≫、鏑木清方 ≪五月雨≫≪夏の旅≫、松岡映丘≪池田の宿≫、小茂田青樹≪四季花鳥≫が並 んでいるのだ。 ≪博雅三位≫の長野草風と、≪光明皇后≫の木村武山は知ら なかったが…。

 この展覧会で、さらに驚いたのは、何人もの画家による色紙「十二ヶ月図」 である。 「野間コレクション」には六千点を越す色紙が含まれていて、その大部 分は「十二ヶ月図」だそうだ。 昭和の初めから、野間清治が死去した昭和13 (1938)年前後にかけて収集されたもので、制作を依頼された画家は百数十名 を数え、「手あたり次第に」声をかけたような印象すらあるという。 「十二ヶ 月図」、私は俳句の季題を思い浮べ、画家たちがそれぞれ何を選択したかに興味 を持った。 堂本印象、福田平八郎、川合玉堂、木村武山、伊東深水、鏑木清 方、上村松園、小茂田青樹、山口蓬春、梥本一洋(まつもといちよう)、山本丘 人、吉村忠夫のものが展示されている。 私の好きな福田平八郎が、何を題材 にしているかというと、一月・笹と小鳥、二月・雪と小鳥、三月・梅、四月・ 桜、五月・薊(あざみ)、六月・鯉、七月・玉蜀黍(トウモロコシ)、八月・朝 顔、九月・鶏頭、十月・茄子、十一月・楓小禽(ことり)、十二月・枝ニ小禽。  鏑木清方は、一月・飾餅、二月・老梅、三月・松桜、四月・雨、五月・軒菖蒲、 六月・燕、七月・朝露、八月・芒(すすき)、九月・菊雛、十月・宮詣、十一月・ 芝居、十二月・渡舟。 上村松園は、一月・手まり、二月・観梅、三月・雛、 四月・桜、五月・藤娘、六月・新竹蛍、七月・盆踊、八月・月見、九月・鳥籠 少女、十月・落楓、十一月・砧、十二月・降雪。  ほかに、竹内栖鳳の≪犬≫、西沢笛畝の≪雛人形≫が可愛い。