映画と実際、虚実のあわい2018/06/13 06:38

「豊島区立 熊谷守一美術館だより」2018年春号vol.52に、熊谷守一次女の 榧館長(89)が、映画『モリのいる場所』について書いている。

脚本を最後まで読ませてもらう条件で、映画にする話を承諾した。 脚本が 届いて、事実と違うところや、モリが絶対に言わないセリフなどがあったので、 何度か手紙を出した。 撮影の前に、沖田修一監督が訪れ、出来れば大きな修 正をしないまま作らせて欲しい、映画はドキュメンタリーでなくフィクション だということを理解して欲しい、という丁寧な説明を受けた。 結局は、榧さ んがどうしてもというところ以外は、沖田監督が最初に書いた脚本に近い感じ で撮られたという。

モリのことを好きだという山崎努さんは、顔の感じや着ているものを良く似 せていた。 母は、樹木希林さんみたいに聡明でなくて、女学生のまま婆さん になったような人だったから……、希林さんの方が素敵だった。 アトリエな どはよく再現されていたけれど、庭と家の中は、あんなに広くない。 モリは 人が好きだったんだけど、家に男の人をあげるのを嫌った。 どんなに仲が良 くても、信時潔さんですら家に泊めたことがない。 だから映画にあったよう に、知らない男が大勢うちの居間で夕食するってことは、まず考えられない。  家の敷地から一歩も出られなくなったのは最後の数年だし、母方の姪の恵美ち ゃんも、映画とちがって本当はとてもおとなしい性格だった。

あくまで映画は映画。 心配なのは、エピソードや会話がすべて事実に忠実 だと誤解されないかということ。 勲章内示の電話のくだりなんかは、特にね。 映画に関わった多くの方の、心に描いた[熊谷守一]が、ひとつの作品となっ ているので、それを楽しんでいただければいいかなと思う。

私も、まったく同感である。 沖田修一監督と、そのスタッフ、キャストは、 [熊谷守一]という画家の世界「モリのいる場所」の雰囲気を、一本の映画に つくりあげた。 テレビドラマでは、「このドラマはフィクションです」という お断わりが出る。 それとは、ちょっと意味が違うけれど、この映画もフィク ションである。 その証拠に、深海に棲むチョウチンアンコウのように、額に 生えたものの先に光を灯した、見知らぬ謎の男(昼間も家に来ていた)が登場 して、モリに「この狭い庭から外へ出て、広い宇宙へ行きたいとは思いません か?」などと、尋ねるのだ。 そういえば、警視庁のマスコット「ピーポくん」 も、額に生えたものの先に光を灯しているが、あれは世の中を照らしているの ではなく、世の中の動きをキャッチするアンテナらしい。