「南洋」、グアム島、サイパン島2018/07/10 07:17

 父の世代の人たちが、「♪私のラバさん、酋長の娘、色は黒いが、南洋じゃ美 人」と歌っていた。 この「酋長の娘」は、私も憶えている演歌師の石田一松 の、作詞・作曲・歌唱のコミックソングで、昭和5(1930)年8月の発売、そ の前年に創立されたポリドール最初のヒットだったそうだ。 二番は「♪赤道 直下、マーシャル群島、ヤシの木陰で、テクテク踊る」。 明治29(1892)年 にミクロネシアのチューク諸島(トラック島)に移住し、島の酋長(首長)の 娘と結婚した実在の日本人(高知県出身の森小弁)をモチーフにした作品だと いう。

 私など戦後教育を受けた者は、戦前のことはすべて悪として切り捨てられた から、戦争の歴史にまったく弱い。 高度成長以後は、グアムやサイパンは、 卑近な観光地という印象になった。 以前『それでも、日本人は「戦争」を選 んだ』(朝日出版社)(「等々力短信」第1004号 2009(平成21)年10月25 日)を読んで感心した加藤陽子さんの、『とめられなかった戦争』(文春文庫) の第1章「敗戦への道 1944年(昭和19年)」は、西太平洋の小さな島々を舞 台にしている。 戦争が始まる頃、グアム島を除くマリアナ諸島(サイパン、 テニアン、アナタハンなど)は、日本の領土だった。 グアム島だけは、16世 紀の大航海時代以来、スペインに領有されていたが、1898(明治31)年の米 西戦争でスペインが敗れた結果、フィリピンとともにアメリカに割譲され、そ の後、現在にいたるまでずっとアメリカ領である。 一方、その他の14島は、 1899(明治32)年にスペインからドイツに売却された。 しかし、ドイツは 第一次世界大戦で敗戦国となる。 大戦後に設立された国際連盟は、アフリカ・ 太平洋の旧ドイツ領の統治を戦勝国に委任することとし、日本は「赤道以北の 太平洋の旧ドイツ領諸島」の統治を受任した。 すなわち、グアムを除くマリ アナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島、パラオ諸島などが日本委任統治領 となった。 国際連盟の委任方式では、この地域は「C式」、すなわち受任国の 領土として扱われることになっていた。 事実上、日本の領土といえた。

 これらの島々を日本は一括して「南洋群島」と呼び、1922(大正11)年には その施政機関として南洋庁を設置して統治にあたった。 なかでもマリアナ群 島(グアムを除くマリアナ諸島の当時の呼称)は、日本の統治下になってから 興った製糖という産業もあり、日本、特に沖縄からの移民も多かったので、南 洋群島の中心的な存在だった。 しかしそればかりではない。 群島のはるか 北方には硫黄島・小笠原諸島・伊豆諸島がほぼ一直線上に連なり、さらにその 先には東京があるという、戦略上重要な位置も占めていた。 特に主島サイパ ンは、一方で製糖業の拠点であると同時に、一方では最も重要な軍事拠点でも あった、と加藤陽子さんは書いている。 その理由は、やがて明らかになる。

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