『季題ばなし』「海水浴」2018/07/16 06:39

 「海開」と「月見草」の句会の季題研究は、明雀さんの担当だった。 「海 開」を選ぼうとしたら、先月「目高」を担当して葛西臨海水族園まで調べに行 った真智子さんに、「海開」へ行ってらっしゃいと言われたそうだ。 それで6 月29日の「海開」の日に行くつもりだったが、用事があって行かれず、「月見 草」を選んだという。 それでも「海開」に若干ふれ、新しい季題で、明治時 代に大磯あたりで始まった海水浴、潮浴からのようだという話をした。

 そこで私は、「海水浴」について、『夏潮』の『季題ばなし』第十二回、2011 (平成23)年7月号に書いたことを思い出した。 それを紹介したい。

 「潮浴(シホアビ)のことである」と、『ホトトギス新歳時記』第三版は、ま ず言う。「海水浴」は、今や誰もが「カイスイヨク」と読むだろうが、明治の中 期まで「ウミミズアユミ」と読み、波打ち際で身体に波を当てて皮膚や病弱な 体を鍛える、いわゆる潮湯治(シホタウジ)として親しまれていた民間療法だ ったのだそうだ(畔柳昭雄著『海水浴と日本人』中央公論新社)。『ホトトギス 新歳時記』は続いて「夏の暑さをしのぎ、また健康のため盛んに行なわれる。 子供たちや若者にとっては、もっとも楽しい夏の遊びである」と記す。畔柳さ んは、次第に「カイスイヨク」と読まれるようになり、この遊泳や余暇活動の 色彩を帯びるのは、明治二十一年頃からだと述べている。

 福沢諭吉に「大磯の恩人」という一文がある(『福澤諭吉全集』第二十巻)。 福沢が避寒によく訪れていた大磯の旅館松仙閣の主人に渡したものだ。明治初 期の医者、松本順(良順)が、大磯は海水浴・避寒の適地だと説いて、この地が 日本最初の海水浴場、別荘地になったことを忘れるなと説く。それで昭和四年、 共に福沢門下の鈴木梅四郎・文、犬養毅・書の「松本先生 頌徳碑」が建てら れた。「西行祭」の鴫立庵からも程近い、旧東海道・国道一号線さざれ石のバス 停から海岸へ出た所に、大きなオベリスクの碑がある。

 『海水浴と日本人』は、近代海水浴の始祖として三人の名前を挙げる。長与 専斎、後藤新平、松本順だ。長与は初代衛生局長として、明治十四年六月『内 務省衛生局雑誌』で「海水浴説」の特集を組んだ。それを読んだ後藤は、かね て尾張の大野浦で経験、観察した潮湯治の効用を『海水効用論 附海浜療法』と いう啓蒙書にした。松本順は、明治十年の西南戦争中から、自身リウマチを患 って苦しみ、庄内の鶴岡に近い海岸の湯野浜温泉で塩湯に浸かり、二週間ほど 療養してよい結果を得る体験をした。それでリウマチ療養の相談を受けた親友 に、播州舞子浜での海水浴を勧めたところ、治療効果が出たので、本格的に海 水浴の普及に取り組む。明治十二年に軍医総監を退任してからは、全国各地に 出向き、海水浴の適地を探し歩く。明治十七年、松本はかつて早稲田に開いた 医学校蘭疇舎の門下生、大磯で開業している鈴木柳斉を訪ねた。鈴木が案内し てくれた照ヶ崎海岸を見て、松本は、そのすぐれた地勢、きれいな海水や美し い砂浜、周囲の山並みに、この地こそ、長年望んでいた海水浴場の適地である と、確信したのである。

山を手にのせて波間のゆあみかな  正岡子規

朝花火海水浴の人出かな      高浜虚子

いたづらに縞の太しや海水著    久保田万太郎