筋のある小説2018/07/19 07:09

       等々力短信 第388号 1986(昭和61)年4月15日

                  筋のある小説

 少し前に、子供のお供で見た『グーニーズ』という映画が、とても面白かっ た。 この映画の製作者たちが、子供のころ、『宝島』やマーク・トウェインの 『トムソーヤーの冒険』に、夢中になったことは、間違いない。 『宝島』や 『誘拐(キッドナップト)』、『マアスタア・オブ・バラントレエ』の作者、ロバ アト・ルウイス・スティヴンスンは、根っからのストーリーテラーであった。  子供のころから、その辺の森や川や水車を見ても、それにふさわしい事件を、 頭の中に組み立てて、遊んだという。

 作家のなかで、物語を語ることを得意とする人々は、通俗的な作家として扱 われて、自己告白、あるいは性格や心理を描くことを中心にした近代小説の主 流からは、一段低いものと、みなされるもののようである。 『光と風と夢』 で、スティヴンスンの日記をかりて、自身の文学論を語った中島敦も、私小説 がその主流で、自己告白を競いあうような日本の文壇には珍しい、伝奇的な物 語を書いた作家だった。 二人は、通俗的と批判されていることを、承知もし、 苦悩もしながら、あえて物語作家の道を歩いた。

 中島敦は、スティヴンスンに、こう言わせている。 「私は、小説が書物の 中で最上(あるいは最強)のものであることを疑わない。読者にのりうつり、 その魂を奪い、その血となり肉と化して完全に吸収され尽すのは、小説の他に ない。他の書物にあっては、何かしら燃焼しきれずに残るものがある。」 「俺 がくだらない文学者だと? 思想が薄っぺらだの、哲学がないのと、言いたい 奴は勝手に言うがいい。要するに、文学は技術だ。概念でもって俺を軽蔑する 奴も、実際に俺の作品を読んで見れば、文句なしに魅せられるに決ってるんだ。 俺は俺の作品の愛読者だ。」

 夏目漱石は「予の愛読書」という文章に、「西洋ではスチヴンスンの文が一番 好きだ。力があって、簡潔で、クドクドしい處がない、女々しい處がない。ス チヴンスンの文を読むとハキハキしていてよい心持だ。話も余り長いのがなく、 先ず短篇というてよい。句も短い。殊に晩年の作がよいと思ふ。Master of Ballantraeなどは文章が実に面白い。」と、明らかに、スティヴンスンの文体 で、書いている。 『彼岸過迄』では、スティヴンスンを、「辻待の馬車を見て さへ、其所に一種のロマンス(人殺しや美女の逃避行のような)を見出す人」 と言い、物語作家の本質を突いた。