辰巳芳子さんと「大豆100粒運動」2018/07/21 07:05

 14日の土曜日、阿川佐和子さんの「サワコの朝」は、「命のスープ」の辰巳 芳子さんだった。 大正13(1924)年生まれ、93歳だという。 聖心女子学 院で学んで、昭和19(1944)年19歳で結婚した夫は、3週間で出征、9月に フィリピンで戦死した。 実は、その夫は「死にたくない」と言っていたが、 出征した若者たちは皆、そう思っていただろう。 その思いを鎮魂しなければ、 生きることを大切にしなければ、という。 辰巳さんは戦後、慶應義塾の心理 学科に入ったが、結核になり、長年、療養生活を余儀なくされた。 料理家と して活躍していた母・浜子さんを手伝い、やがて鎌倉の自宅で料理を教えるよ うになる。 脳血栓で嚥下困難になった父に、母娘でスープをつくり、それが 父の命を支えることになる。

 平成6(1994)年70歳で「良い食材を伝える会」、平成8(1996)年「スー プの会」を始める。 平成16(2004)年、80歳の辰巳さんの呼びかけに長野 の信越放送が賛同し、「大豆100粒運動」を発足する。 辰巳芳子さんは、戦 中戦後の食糧不足のひもじい時代を経験し、日本で大切なものは、米と大豆だ という。 米を育てるのは難しいが、大豆なら痩せた土地でも育つ。 子供た ちが蒔いても、簡単に育てられる。 大豆100粒というのは、子供たちの手の ひら一杯にのる数だ。 小学校の子供たちの手を借りて、大豆を蒔こうという 提言である。 大豆を蒔いて、低学年の生徒たちの背の高さまで育つのを観察・ 記録し、そして収穫して学校で揃って食べ、豆腐や納豆にも加工する。 この 「大豆100粒運動」を奨励・拡大するために、辰巳さんはNPO法人「大豆100 粒運動を支える会」の会長を務めている。

 辰巳芳子さんは、食の安定性や自給率を深く憂え、人類が豆に頼らなければ ならない時代がきっと来るという。 生命は、もろいものだ。 とりわけ、幼 い生命は大変傷つきやすいものだ。 それはどれほど見守っても充分とは言え ぬほどのものだ。 この生命を大切にしたいと、まず手始めに、この大豆を再 興することから手をつけたのだという。

 なぜ大豆なのか? 大豆は「五穀」の一つに数えられ、古来から日本人の生 命を支えてきた身近な作物だが、近年の自給率は約5%、ここから日本の食を 立て直すことが急務だ。 大豆は、枝豆としても完熟させて大豆でも食べるこ とができる。 きなこ・豆腐・納豆・味噌など、さまざまな加工ができる。 乾 燥させた大豆は長く保存できる。 収穫した大豆の一部を残しておいて、来年 の種まきに「命をつなぐ」ことを体験できる。 大豆を中心とした日本の食文 化、農業の現状、地産地消、穀物をめぐる世界情勢など、学年に合わせた学習 を深めることができる。 日本には各村に一品種あるといわれるほど多くの「地 大豆」がある。 各風土の特質ある大豆を復活、振興、援助することができる。  「大豆100粒運動」は、大豆再興が、地域の着実な「底力」となるよう、情報 交換し、「合力」することを目指している。

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