小谷直道君の「父たちの戦場」2018/07/22 06:48

 6月18日に、14日の滝鼻卓雄さんの三田演説会「ジャーナリズムと権力」 を書いた中で、同期の小谷直道君のことを書いた。 彼の読売新聞での代表作 の一つに「父たちの戦場」という連載コラムがあった。 「南洋」、敗戦への道 1944(昭和19)年「サイパン失陥」を書いた流れで、以前「父たちの戦場」 について書いたのを再録しておきたい。

      「父たちの戦場」<小人閑居日記 2007. 5.7.>

 『小谷直道 遺稿・追想集』の遺稿の部に、1978(昭和53)年8月4日から 終戦記念日前日の14日まで読売新聞に連載された「父たちの戦場」がある。  社会部時代の代表作の一つという。 敗戦から33年目の夏、小谷君は当時37 歳だった。 この企画は彼が中国山東省済南市生れということと関係があった のだろうと思うが、この本からは、その間の事情は分からなかった。 略歴よ り、生涯をたどった小伝を載せたほうがよかったのにと思う。

「父たちの戦場」は南太平洋の激戦地、パプア・ニューギニアとソロモン諸 島をめぐっている。 山本五十六大将の搭乗機の残骸を確認するために、ブー ゲンビル島のジャングルの中にも分け入っている。 パプア・ニューギニアの お雇い外国人の土木建築技師、原晃さん(35)はかつて父が死の行軍を余儀な くされたウエワク―ボイキン間の道路建設にあたり、橋を架けた。 私などは 先日の津波でその位置がはっきりしたガダルカナル島は、昭和17年8月から 翌年2月までの6か月間、飛行場争奪の激戦がくりひろげられ“餓島”といわ れた惨状の戦場だ。 36年後のその当時、この地に踏みとどまって、遺骨の収 集と慰霊に執念を燃やす元参謀、細川直知さん(68)のことを書いている。 3 万人が上陸したという日本軍の戦死者数を、細川さんに尋ねたら、帰るまでに キチンとした数をと、あとで便箋のメモをくれた。 「日本軍上陸人員3万1358、 戦死・戦傷死・戦病死・行方不明2万1138」「米軍作戦参加人員約6万、うち 戦死約千、負傷4千245」。

 連載の最後に、小谷君はイギリスの戦史家、バジル・ハート卿の言葉を引い ている。 「もし平和を欲するならば、戦争をよく理解しなければならない」

コメント

_ skyblue ― 2018/07/23 08:55

貴ブログは美海さん「気が付けば82歳」から知り時々拝見しています。
今日の「父たちの戦場」で中国山東省済南市生れとの一文に目が留まりました。
実は私もS19年9月中国山東省済南市生まれなのです。
この辺の事情を亡き父から詳しく聞いておかなかったことが悔やまれます。
父は2013年7月96歳で亡くなりました。
生前に軍隊や戦争の話、中国の話はよくしていましたがその都度自慢気で饒舌になる父が嫌いで聞き流していました。
父なりの不器用さで私を愛してくれていたことは理解していましたが亡くなるまで心から親しめなく可愛げのない娘でした。
私の戸籍謄本には中華人民共和国山東省済南市に出生届が出されています。
今になってなぜ父が中国にいたのか何処でどのように戦争体験をしたのか詳しいことは何も知りません。
あえて聞こうとしなかったのですが今になってすごく知りたい気持ちになっています。
S21年3月両親は命からがら佐世保港に引き揚げ私は栄養失調でひきつけを起こしたと聞いています。
その時母は妊娠4か月で弟はその年の9月に無事生まれ今も健在でたった二人きりの姉弟です。
母は父に次ぎ2015年5月93歳で亡くなりました。
両親とも長寿で親子関係もほぼ良好だったのに聞くチャンスはいっぱいあったはずなのにと今更ながら後悔先に立たずです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック