横浜正金銀行と福沢諭吉2018/08/20 07:14

 横浜正金銀行は、福沢諭吉と関係が深い。 そこで『福澤諭吉事典』の、杉 山伸也さんの「横浜正金銀行」の解説を見ておきたい。

 「横浜正金銀行」は、「明治12(1879)年12月に国立銀行条例に基づいて 横浜に設立された銀行で、外国為替など対外貿易金融を主要業務とした。設立 当初の資本金は300万円(大蔵省100万円、民間200万円出資)、10年の西南 戦争を機に政府紙幣の増発によりインフレが生じ、また輸入超過により正貨(銀 貨)が流出して、紙幣と正貨との格差(銀紙格差)が拡大した。福沢諭吉は『通 貨論』で銀紙格差の原因を「紙(紙幣)の過多」とみなしたのに対して、参議 兼大蔵卿の大隈重信はその要因を銀貨の供給不足と考え、洋銀取引所の設立 (12年2月)などの政策を講じたが、福沢も大隈も、外国商社・外国銀行に掌 握されていた「商権回復」のために正貨の安定的供給を担う貿易金融機関の設 立が必要である、という認識では一致していた。」

 「横浜正金銀行の設立は福沢と大隈の連携の所産で、福沢書簡には「バンク (の)一条」「銀行一条」と記されている。福沢は、12年8月に銀貨変動の安 定化のための「一種之常平局」のような金融機関の具体的提案書を大隈に送付 し、小泉信吉(のぶきち)や中上川彦次郎を通じて銀行設立が具体化してくる と、大隈に実務担当者として中村道太を紹介し、政府の出資を要請するととも に、丸善の早矢仕有的らと相談し、民間からの出資金の調達に尽力した。大隈 はおそらく福沢の提案書をもとに「貿易銀行条例」案を作成し、12年11月に 中村道太など23名を発起人として「金銀貨幣ノ供給運転ヲ便ニスル」目的で 正金銀行創立願が提出され、13年2月に営業を開始した。頭取には中村道太、 副頭取には小泉信吉が就任し、株主や行員には慶應義塾関係者が多く参加した。 民間の主要株主は、堀越角次郎をはじめ早矢仕有的、岩崎弥太郎など福沢の知 人が上位を占め、福沢自身も200株(1万2千円)を引き受けた。しかし正金 銀行は松方デフレの影響で損失額が増加し、15年7月に中村は引責辞職に追い 込まれた。」

 「正金銀行の主要業務は、設立直後の松方財政期に正貨蓄積の必要から対外 貿易金融に転換し、20年7月の横浜正金銀行条例により特殊銀行の性格を有す るようになった。明治22年9月の『時事新報』社説「横浜正金銀行に所望あ り」は、こうした正金銀行の海外支店の情実人事や業務の「御役所風」化が民 間の貿易商に不便をもたらし、日本の貿易の発展を妨げていることへの懸念を 表明したものである。」

 「正金銀行は、5回にわたる増資を経て大正8(1919)年に資本金は1億円 となり、ニューヨーク、ロンドンなど海外の主要都市に支店を置き、戦前期日 本の対外貿易金融の中心としての機能を果たした。昭和22(1947)年6月に 閉鎖機関に指定され、主要業務は東京銀行に継承された(現在の三菱(東京) UFJ銀行)。」

なお、富田鉄之助の日銀総裁在職期間は、前に見たように、明治21(1888) 年2月21日から翌22年9月3日までだった。

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