戦後十年、ナンダイ・クイズ、推理綴方の流行2018/08/21 07:07

 私は、高校新聞の出身だとよく書くけれど、その前史があった。 明治学院 中学で新聞をつくっていたのだ。 1年生の時の担任が国語の久保山昌弘先生 で、先生が文集や新聞をつくっておられた。 その新聞発行のお手伝いをした のである。 久保山先生のあだ名は「天皇陛下」、「天ちゃん」、風貌が昭和天皇 に似ていた。 満員電車で通学する様子を描いた私の作文の、ユーモアを評価 して下さったことがあって、それが、私がものを書くのを苦にしない一つの要 因になった。 感謝してもしきれない。 新聞つくりを、どうやっていたのか、 ほとんど忘れてしまったが、一つだけ憶えていることがあった。

 先生に新聞を読ませる工夫を考えるように言われて、当時(私は昭和29 (1954)年から32年まで中学生)一般の新聞で流行っていた懸賞クイズを載 せたらどうかと提案し、それをやることになった。 クロスワードパズルのよ うな枠に、空欄があり、クイズのヒントを読み解いて、カタカナでなく、漢字 を入れるものだったと思う。 私がそのクイズをつくることになったのだが、 一つだけ記憶していたのは、「京都のテープレコーダー寺」というヒントで、□ □を埋める問題。 当時、ソニーのオープンリールのテープレコーダーが世に 出て来ていて、取材関係では小型の「デンスケ」というのが使われていた。 録 音→鹿苑寺→「金閣」が答だった。

 当時そんな懸賞クイズが流行っていたことを思い出したのは、先日、安藤鶴 夫さんの『落語国・紳士録』(『安藤鶴夫作品集II』(朝日新聞社・1970年)) を引っ張り出したからだった。 『落語国・紳士録』は、昭和31(1956)年5 月から33(1958)年12月まで138回にわたって『週刊東京』に連載、34年5 月に青蛙房から単行本として刊行された。 いつも書かせてもらっている季刊 誌の原稿に、「落語研究会・第600回 満50年」の流れで、「落語国新聞」を書 くことを思いつき、その参考にしようと思ったのだ。 ところがアンツルさん の『落語国・紳士録』、その幅広い教養知識から、奔放な想像力をあっちこっち に飛ばして、とても私に真似のできる技ではなかった。 取り上げられた91 名(犬と大蛇(おろち)たぬきを含む)は、ほとんどが馴染みのある連中なの だけれど…。 「落語国新聞」は、ともかく私なりにでっち上げた。

 脱線した。 『落語国・紳士録』の一人に、「□兵衛」がいる。 「「小言□ 兵衛」に登場」とある。 「もとはれっきとした麻布の家主で、家を借りにく る者に、いちいち難癖をつけては貸さない算段をしたひと。太平洋戦争で貸家 を全部焼かれてしまい。戦後は落語長屋に借家住いをしている。したがって、 これも一種の斜陽族というべきか。ひざかりを過ぎた頃、久しぶりに□兵衛さ んを訪ねて、最近ジャーナリズムを賑わしているナンダイ・クイズ、推理綴方 の流行などについて意見を聞いた。□兵衛さんは縁日物の朝顔に水をやってい たが、ナンダイ・クイズと聞くや、得たりと部屋に上がってきて、「婆ァさん、 茶を入れてきな」と突拍子もない大きな声でどなった。」 この先は、また明日。

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