岩崎さんが岩崎さんになって行く過程2018/09/03 06:55

 いわさきちひろさんの年譜を見ると、こうある。 1958(昭和33)年39歳 ……至光社の月刊絵雑誌『こどものせかい』に描き始める。 1968(昭和43) 年49歳……絵で展開する絵本を試みた最初の作品『あめのひのおるすばん』(至 光社)を描く。以後、至光社の武市八十雄とともに意欲的に絵本を制作する。   1969(昭和44)年50歳……『あかちゃんのくるひ』(至光社)。 1970(昭和 45)年51歳……パステルで『となりにきたこ』(至光社)。現存するパステル 画のほとんどは、この年に描く。『あかちゃんのくるひ』(至光社)(重複してい るのは、パステル画版ということか?)。 1971(昭和46)年52歳……『こ とりのくるひ』(至光社)を描き、1973年ボローニャ国際児童書展にてグラフ ィック賞を受賞。 1972(昭和47)年53歳……『ゆきのひのたんじょうび』 (至光社)。 1973(昭和48)年54歳……『ぽちのきたうみ』(至光社)。 1974 (昭和49)年8月3日、肝臓ガンのため死去、55歳。

 至光社と武市さんというお名前に関して、私には、知っている方が、大学の 同期に二人いた。 一人は、武市純雄さん、ご実家が至光社と聞いていた。 さ っそくメールで、武市八十雄さんについて伺うと、14歳年上のお兄様で、昨年 亡くなられたとのことだった。

 もう一人は、絵本編集者の末盛千枝子さん、最初、至光社にお勤めになった と、記憶していた。 メールでお尋ねすると、いわさきちひろさんと武市八十 雄さん、お二人についての思い出は尽きないという。 ちょうど、その頃、至 光社にいて、岩崎さんが岩崎さんになって行く過程を見ていたそうだ。 実に 恵まれた時代にいたことになる、と。 展覧会で、そのあたりのことが、きち んと紹介されていることに安堵するとも、おっしゃる。 しかし、それは、私 には展示の説明文の中にあった「武市八十雄」というお名前に反応したことか ら、わかってきたことで、展覧会を見た人の誰もがそれを認識したかは、はな はだ疑問である。