関良基著『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』2018/09/16 08:22

 関良基さんが『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義 の夢』(作品社)で、主張したかったことにも、触れておきたい。 私は、それ に全面的に賛成するものではないが、十分に検討される余地はあると思ってい る。 関良基さんは、江戸時代末期、赤松小三郎だけでなく、多くの日本人が、 現行憲法につながる「人類普遍」の内容を持った憲法構想を支持しており、そ れは決して少数意見というわけではなく、実現一歩手前まできていた事実があ った、とする。 しかし、こうした事実は語られて来ず、赤松小三郎は日本人 の記憶の中から消されてきた。 赤松小三郎の暗殺は、太平洋戦争の敗戦に至 るまでの、78年間にわたる戦乱の時代の幕開けになったといっても過言ではな い、赤松小三郎を暗殺した黒幕は、日本人なら誰でも知っている、「維新三傑」 のうちの二人であろうと思われる、というのだ。

 「日本近代化の原点」「国民国家の形成」「文明開化」「歴史の進歩」としての 「明治維新の物語」は、左右の垣根を越えて、「公共の記憶」として日本国民に 広く共有されてきた。 西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬……、明治 維新の英雄たちの業績は評価し、顕彰される一方で、赤松小三郎のように消し 去られてきた人物たちがいる。

 関良基さんは、「近代官僚専制システムの歴史的起源」の節で、こう書いてい る。 後藤象二郎と小松帯刀を中心に立案された「薩土盟約」においても、法 制度の一切を立案する議事堂(議会)と、政策を執行する全権を持つ朝廷(行 政府)の二つの権力が分立して存在する必要性が述べられ、地球上どこに持っ ていっても恥ずかしくない憲法を制定すると唱えられていた。 坂本龍馬の「新 政府綱領八策」も、まずは諸侯会議という公的な場において、「上下議政所」が 招集され、「無窮の大典(=憲法)」が制定されるという内容だった。 いずれ も近代国家の大本に議会と憲法を置く構想で、赤松小三郎の「御改正口上書」 は憲法を「国律」、「薩土盟約」は「国本」と書き、国の大本になる根本法が必 要であるということが認識され、立憲主義が求められていた。

 実際には、時局はどう動いたか。 薩土盟約は破棄されたが、土佐は単独で 大政奉還の建白をし、徳川慶喜は「議政所構想」を含む、それを受け入れた。  だが、王政復古のクーデターがあり、流血の戊辰戦争となった。 関良基さん は、もし西郷が、公議政体の確立のために、どうしても武力で徳川を討伐せね ばならないと考えていたのであれば、戊辰戦争後にすみやかに議会政治を目指 さなければならなかったはずであるが、彼はそれをしようとしなかった、と書 く。

 戊辰戦争の最中の慶應4(1868)年閏4月に出された、副島種臣と福岡孝弟 が起草した「政体書」には、不十分ながらも、議政官(立法)、行政官(行政)、 刑法官(司法)の三権が分立する体制が目指されていた。 実際には立法と行 政のあいだの兼官が目につくが…。 しかし、この「政体書」の制度は1年あ まりしか続かず、「新政府」が戊辰戦争で国内の抵抗勢力を武力で鎮圧すると、 「公議輿論」を忘れ去ってしまい、明治2(1869)年7月には新しい太政官制 が導入された。 これは三権をいずれも太政官の下に置く、権力の分立を否定 する体制であり、しかも天皇家の祭祀を司る神祇官(じんぎかん)を、太政官 のさらに上位に位置付ける祭政一致の国家神道原理主義体制であった、と関良 基さんはみる。 これが廃仏毀釈につながり、日本版「文化大革命」という様 相を見せ、各地で貴重な文化財が暴力的に破壊されていった、とする。 この 段階で、天皇を神聖化する原理主義国家の種が蒔かれ、その芽が後年ふくらん で、昭和の亡国につながっていく、とするのだ。

 公議政体派の構想では、「議会・憲法→内閣→官僚」と近代国家が整備される はずであった。 だが実際に起こったことは、「官僚→内閣→憲法→議会」の順 だった。 順番が逆転し、はじめに官僚政治ありきで、結果、欽定憲法になら ざるを得なくなった。 内閣や議会は、維新志士による官僚独裁政治の本質を 隠し、「近代」を偽装するための外皮として、後からとってつけたものになって しまった、というのだ。 議会のないまま藩閥官僚たちが独走した23年のあ いだに、官僚たちの「我は国家なり」の傲慢不遜の意識が形成され、連綿と引 き継がれ現在に至っている。

 赤松小三郎の建白書から23年の後に制定された「大日本帝国憲法」では、 天皇が唯一の立法機関とされ、議会は立法を「協賛」する組織、大臣は天皇を 「輔弼」するものでしかなかった。 天皇には、議会や内閣のコントロールを 受けずに陸海軍を直接指揮する「統帥権」が付与された。 小三郎の構想では、 陸海軍を統括する軍務大臣も、議政局が選出することにより、軍は議政局によ って統制されるはずであった。