福沢の「国」・「官」・「民」、小室正紀さんの論考2018/09/27 07:13

 23日、『福沢手帖』第178号が届いた。 読み応えのある論考ばかりで、充 実の一冊になっている。

 まず、小室正紀さんの「『時事新報』における「国」の概念―明治20年1月 「国立の事業」から―」。 福沢は「国」という語を、さまざまな文脈で使って おり、現在われわれがイメージする「国」と単純に結びつけるべきではない、 という。 福沢の「国」を考える時、明治20年1月14日の『時事新報』論説 「国立の事業」(『福澤諭吉全集』には収録されていない)が興味深いとして、 要約が示される。 その一部を引く。

 「社会には、「官民共同」のいわゆる「国 立」の資格で行うのが適切な事業がある。しかし、わが国では「官民共同」の 思想が非常に乏しく、一般人民は官の事業に関心が薄く、官の方も一般人民の 事業を顧慮しない場合が少なくない。」 「西洋諸国では、公共の便益を目的と する事業で「国立」のものが少なくないが、わが国では遺憾ながら、「国立銀行」 以外には、「国立」の事業があるとは思えない。しかし、今のわが国には、「国 立」で行うべき事業はいくらでもある。中でも、最も急を要するものは、「商工 業を奨励するの方便」として、「国立美術館」と「国立輸出品見本縦覧所」を設 置することである。」 「この種の計画は、多くの資本と人材を要するものであ るので、官界であれ民間であれ「輿望(よぼう)の重き人々」が成否を主導し なければならない。思うに財産も輿望もある華族諸君などが企画すべきもので あり、官からも民からも資本の出所はある。」

 小室正紀さんの解説。 ここでは、治者・政府のことは「官」と言い、「国」 とは区別している。 現在われわれは、しばしば政府のことを国と俗称するが、 この論説での「国」は、「官民を合したる一体」であり、政府のことではない。  現在の国立博物館や国立大学は、この論説の概念からすれば、「官立美術館」「官 立大学」と称することになる。 唯一「国立」の例として挙げられている「国 立銀行」は、明治6年から12年にかけて全国に153行が設立された、完全に 民間資本による銀行である。 ただし、政府の条例を踏まえて紙幣の発行権を 持つ銀行であり、また信用保証の一端を政府が担っていた点で、「官民共同」の 実態が備わった民間組織と言える。 アメリカにあったナショナル・バンクと いう“民間”銀行の組織形態を模範にしており、それを直訳して「国立銀行」 と命名したのである。

 福沢の論説では、nationalに対応する訳語として「国立(ナショナル)」を 使っていて、その概念は、現在の日本の組織で使われている「国立(こくりつ)」 とは異なる。 西洋諸国には「国立(ナショナル)」の事業が多いと述べ、その 例としてフランスの「演劇場」や「観古美術館」を挙げている。 ナショナル を冠する美術館として直ぐ頭に浮ぶのは、ロンドンのナショナル・ギャラリー である。 ナショナル・ギャラリーは、ある銀行家の個人コレクションを基に、 彼の所有する建物で、1824年に発足した美術館で、政府の協力はあるが、評議 員会で運営管理されており、今の日本でいうところの国立(こくりつ)美術館 ではない。

 なぜ、福沢は「国立(ナショナル)」であることを望んだか。 『文明論之概 略』第9章「日本文明の由来」で、日本人は「国」を他人事と見なしていると 批判し、「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」と断じている。 福沢 の概念では、主体性を持って国を形成する人民、およびその人民によって形成 される国が「ネーション」である。 そして、この論説の「国立の事業」にお ける「国立(ナショナル)」は、右の概念を備えた「ネーション」の形容詞形に 他ならない。

 さらに小室正紀さんの指摘で重要なのは、福沢の「官」・「民」・「国」につい ての以上の定義からすれば、福沢の思想において、「民権」と「国権」を対極概 念と捉えることも正しくない、とすることだ。 福沢は、明治10年以降、民 権論から国権論へ移ったと、しばしば批判される。 しかし、この論説によれ ば、「国」の構成要素の一半は「民」であり、「国権」の中には、当然「民権」 も含まれる。 福沢が「民権」と「国権」を、対立するものと考えていなかっ たことが、ここからも類推できる、というのである。