柳亭市馬の「盃の殿様」後半2018/10/08 07:23

あくる朝、屋敷に帰って、何も手に付かない。 一晩、辛抱して、弥十郎、 病も軽うなったようだ。 花魁が、殿はん今度はいつ来てくんなますか、と言 った。 あの里では、初会のあと、裏を返さないのは、客の恥辱と聞く。 余 の先祖は、戦場で敵に後ろを見せたことのない家柄じゃ、今宵、吉原に参るぞ。  裏を返し、馴染みとなり、気心が知れてきて、殿様は上機嫌。 花扇が余の膝 に深くもたれかかり、浮気をしては許しませんよと、余の膝をつねりおった、 痣(あざ)になっておる、弥十郎、苦しゅうない、まくって見せてとらすぞ。  花扇は目にいっぱいの涙を浮かべてな。 家来、弥十郎がやかましい。 弥ジ さんという方は、恋を知らぬ野暮な人。 殿様は、毎日毎日、吉原通い。

参勤交代の時期が来た。 お暇乞いに、本格三百六十何人で吉原へ。 花魁、 仕掛をもろうて参りたい、国へ持って帰りたい。 小判を山高く積む。 百亀 百鶴(ひゃっきひゃっかく)の盃、七合入りの大杯で、さめざめと別れの酒を 酌み交わす。

 三百里離れた国許、お城の大広間。 廓通りの盃事。 仕掛を、誰か着てみ よ。 珍斎、その方はどうだ。 ほおづきの化け物だな。 弥十郎、着てみよ。  よう、似合うておる。 余の膝にもたれかかれ。 いっそ、切腹を申し付け下 さい。 そんなことは申すな。 そうじゃ、そうじゃ、余の膝をつねろ。 痛 いな、その方は。 痛いような、痛くないような、ふうにつねるのじゃ。

 江戸まで三百里を走れる者を呼べ。 足軽で速水東作という者がおりますが、 お目見得以下でございます。 直答を許す。 前後十日にて出来るか。 誓っ て。 大盃を担いで、えっさっさ、えっさっさ。 往復六百里(一日240キロ)、 約束通り五日で江戸に着く。 花扇は、涙を流し、七合入りの大盃を飲み干し、 ご返盃。 速水東作は、えっさっさ、えっさっさーーッ。 お言付けを、と言 おうとしたら、東作はもう神奈川にいた。

 箱根山中。 速水東作、急いでつい大名行列の供先を横切ってしまって、捕 らえられた。 殿様が聞く、いずれの藩中の者か。 主君の名は申し上げられ ません。 火急の用、さる遊君との盃のやりとりで、国許に戻る途中。 そう か、大名の遊びとは、そうありたいものだ。 三百里離れておるのか。 余が、 盃の相(あい)を務めたい。 グーーッと一息に飲み干して、ご主君によろし くお伝えのほどを。

 国許の城に帰って、報告をすると、殿様。 その大名に、もう一盞(いっさ ん)と申して参れ。 可哀想なのは、速水東作。 どこの大名か、聞いてこな かったので、明治初年まで、大盃を担いで、えっさえっさと探していた。

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