「志木歩こう会」“多摩地区の名所を訪ねて” ― 2018/10/15 07:11
6日の土曜日は、「志木歩こう会」“多摩地区の名所を訪ねて”があり、今年 も家内同伴で参加させてもらった。 午前10時の西国分寺駅集合。 毎年最 年長の10期で、長距離を歩いてヘロヘロになるので、来年あたりはリタイア かと思って集合場所に行くと、なんと1期生の波田野雅弘さんが参加されてい るではないか。 85,6歳になられる勘定だ。 千葉の鋸山の方にお住まいで、 山道を歩いておられるとか、この方が健脚で、颯爽とどんどん前を歩いて行か れるのであった。 リタイアなどと言ってはいられない。 あとで行った平櫛 田中彫刻美術館の平櫛田中の言葉、「「六十、七十は、鼻たれ小僧、男盛りは百 から百から、わしもこれからこれから」を実感した次第。
西国分寺駅を出て、きれいに開発された新しい街を、多摩川方面へ下る。 国 分寺市泉町のアパート群の前の道路が、車道よりも歩道の方が広くなっている。 その歩道部分が東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)の発掘跡である。 両 側に茶色く側溝の跡が示されているから、道幅が広く12メートル程の直線道 路だということがわかる。 古代に造られた官道の一つで、当初東山道の本道 の一部として開通し、後に支路となった道。 上野国・下野国から武蔵国を南 北方向に通って武蔵国の国府(現、府中市)に至る。 7世紀に律令制が確立 されると、行政区画が整備され「五畿七道」が設置された。 畿内以外の国々 は、それぞれ所定の「道」に属し、それぞれの国の国府を結ぶ同名の官道がつ くられた。 東山道には、近江国を起点に、美濃国、飛騨国、信濃国、上野国、 下野国、陸奥国が属し、これらの国々から大きく外れたところにある武蔵国の 国府を結ぶ必要が生じた。 それで上野国府-新田駅(上野国)-武蔵国府- 足利駅(下野国)-下野国府というルートが採用されることになり、新田駅- 足利駅間は直進ではなく南北にわたってY字形に突き出る格好になった。 こ のY字形の部分が東山道武蔵路であった。(つづく)
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