郷士と明治維新、龍馬・豪商生れの影響2018/10/26 07:05

 磯田道史さんの『龍馬史』、「龍馬は一日にしてならず」の章を、もう少し見 てみよう。 豪商・才谷屋は、六代目八郎兵衛直益のときに郷士株を手に入れ、 直益の長男兼助直海が分家して郷士坂本家が誕生した。 この分家の時の記録 「財産分配譲渡状」によると、兼助が相続したのは銀百貫目の32・3%で、現 代のお金に換算すると数億円になるという。 これに加えて、所有する土地か ら上がってくる小作料(加持子(かじこ)米)は、年間四十両(約1200万円) というから、龍馬の生家が相当に裕福だったのは間違いない。

 のちに土佐藩では、郷士たちの多くが自ら置かれている差別的な境遇に対す る不満の捌け口を尊王攘夷運動に求め、土佐勤王党を結成するなどの動きを見 せるが、龍馬の仲間といえる彼らのなかにも、大地主出身の郷士がいた。 郷 士は必ずしも貧者ではなかったのだ。

 土佐や長州は郷士が非常に多く、学校教科書が教える兵農分離の社会とはほ ど遠い。 また、南九州も郷士が多く、熊本藩、人吉藩、薩摩藩、佐賀藩など は郷士だらけといってもいい状態だ。 後に明治維新の原動力となったような 西南雄藩は、郷士が多く兵農分離が進んでいなかったという傾向が明らかであ る。 磯田さんは、兵農分離ができていなかったから、明治維新を起こせたの ではないかと思えるほどだという。 そして、戊辰戦争で新政府軍に抵抗した 東北諸藩も郷士が多い。 さらにいえば、維新以後に、いわゆる士族の反乱が 起こった地域も、そこに重なってくるのだ、と。

 磯田さんは、坂本龍馬は、そうした時代の変革を担った郷士出身の志士であ り、その象徴的な存在といえると思う、という。 坂本家の本家である才谷屋 にとって、分家が武士になることはプラスであったろう。 龍馬と同時代のこ ろに、酒造業をやめ武士相手の貸金業を事業の中心とするようになり、分家= 親戚が下級とはいえ武士であるという事実は、非常に社会的信用を増しただろ う。 借金を踏み倒そうとする武士にとっては、さまざまな形でプレッシャー にもなったであろう。

 多くの藩では商社のまねごと「産物まわし」をしなければ、藩の経営が立ち 行かないという現実があった。 商品流通にかかわり経済的に成功した西南雄 藩では、この「産物まわし」を武士以外の御用商人というエージェントにやら せていたので、龍馬のような存在が入り込む余地があり、海援隊を結成して土 佐藩の物品や武器を運ぶといった仕事を、藩から請け負うことができた。 龍 馬は実家が豪商だったので、武士に対して不必要に怯まず、商売や金銭への忌 避感もなかった。 豪商・才谷屋に生れたことは、坂本龍馬という一人の英雄 の後の活躍に、計り知れないほどの大きな影響を与えた、と磯田さんは指摘す る。