柳家小三治「転宅」のマクラ2018/11/07 06:35

 前座がお茶とお尻に当てるものを置き、出囃子が長くずーーっと鳴っても、 小三治はなかなか出てこない。 悠々と出てきた時には、8時45分になってい たので、マクラは短いのだろうと思った。

 月日の経つのは早いもので…、あれですよ、早いですなあ、と始めた。 神 戸の大地震、あれは確か今から23年か前、古過ぎますね、この話。 せっか く言っちゃったから、少しやりますけど。 その頃、東京やなぎ句会というの をやっていましてね。 日本を悪くした人たち、小沢昭一、永六輔なんかと。  江國滋、今の江國香織のお父っつあんもいた。 1月17日、四谷の俳句会の会 場で、毎月17日というのは五七五で17日、ナイターを聞いてた小沢昭一が、 ああだこうだ言って。 その話は、ここで素通りします、みんな言ったら終わ らない。

 それから3・11、何年経ちますか、そんなに経ったのってことになる。 新 潟で仕事があって、列車で護送されていた。 揺れに揺れて、仕事もなくなり ました。 列車の中で一時間、熊谷のあたりで、3月は寒い、暑い時はべらぼ うに暑い、無駄な所ですね。 1キロ近く、線路の上を歩かせられた。 タク シーなんかない。 新潟に電話したら、こっちは何でもない、来て下さい、お 迎えに行きます、という。 5~6時間待って、行くのにまた5~6時間かかる、 それまで生きているかどうか。 3時間待って、タクシーでマネージャーと二 人、東京に帰って来たが、ぜんぜん動かなくて、7、8時間かかった。 この話 は、これくらいにして…。

 東京・函館間の飛行機を、台風が追っかけて来る。 飛ばすっきゃない。 台 風は日本海にそれた。 函館山の麓の、旅館のような、旅館でないようなとこ ろに泊まった。 ホテルは空いてない、日本の人の部屋がない。 その晩、震 度7の地震、ちょっと驚いた。 揺れ方が違う、グラーーッ、グラーーッ、何 だ、これは。 停電になって、はばかりも使えない。 次の日の落語会は中止。  二日おいて後、札幌の仕事、レンタカーを弟子が運転して行ったが、信号が止 まっていて、3時間のところを7時間かかった。 これで、お終い。 ついで ですから、札幌、頑張って電気を都合して来ましたって言う。 広いホールで、 落語じゃなくて、噺家になってから今日までの道のりを、北海道新聞との付き 合いによって、初めて話した。 客、どっから来るんですかねえ、舞台に集ま って、みんな手を伸ばしてね。 一人、稚内から来ましたって人がいた。 札 幌と稚内では、生涯違うぐらい違う。 オートバイで以前、となるでしょ、そ っちの話が面白くなる。 羽幌の小学校、横断歩道で停まって、おじさん東京 から来ましたって。 羽幌ってのは、札幌の向うかな、こっちかな。 それほ ど遠い(と、茶を飲む)、それぞれの基準ですが…。