なぜニューオーリンズだけで、ジャズが生まれたのか2018/11/18 07:55

 14日は、仲間内の情報交流会が交詢社であって、佐藤修日本ジャズ音楽協会 理事長の「「ジャズの話」―ジャズに全く関心がない人にも絶対に興味を持って 頂ける話」を聴いた。 佐藤修さんは、同期の法学部政治学科卒、ソッカー部 (慶應ではサッカー部をこう呼ぶ)の副主将、日本ビクターに入り、BMGビ クターの社長・会長、ポニーキャニオンの社長・会長を務め、日本レコード協 会会長や日本クラブユースサッカー連盟会長を歴任した。 今でも75歳以上 のサッカーチームのゴールキーパーとして、海外遠征もしているそうだ。

 話は有名なビクターのマーク、犬がラッパ状の蓄音機の音に耳を傾けている His Master’s Voiceの原画のことから始まった。 原画になったイギリスの画 家の油絵は円盤(レコード)蓄音機でなく、エジソンの発明した蝋管蓄音機だ ったが、RCAビクターが円盤(レコード)に塗り替えたのだそうだ。

 最初のジャズのレコーディングは、1917年(今から101年前)RCAビクタ ーが白人のバンド「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」で行っ た。 黒人のバンドが吹き込んだのは、その5年後だった。 当時、レコード 屋はなく、家具屋が蓄音機を置き、その付属にレコードを売っており、黒人の ものは扱わなかった。 初めはJassと表記したが、Jassは淫売屋で女が使う ような猥褻でいかがわしい言葉なので、Jazzと書くようになった。 Jazzは 1915年に使われ始めたので、103年になる。 1917年、ニューオーリンズが 軍港になったので、紅灯街ストーリービルが閉鎖された、その影響については、 また後で触れる。

 ジャズの歴史は、アメリカ南部ルイジアナ州のニューオーリンズで始まった。  ジャズには、黒人とニューオーリンズという二つの要素がある。 黒人奴隷は 各地にいたのに、なぜニューオーリンズだけで、ジャズが生まれたのか。 前 身は、黒人が黒人の為に演奏する村祭のようなもので、ブラスバンドで葬式の 行進をした(南フランスの風習で、ルイジアナ州は元フランス領だった)。 黒 人は譜面無しに、適当に演奏。 ニューオーリンズには、クレオール(白人(フ ランスやスペインなど)の男と黒人の女との混血(逆は大変))がいて、黒人と は別の世界を持ち、教育を受けて譜面も読めた。 スペイン民謡、アイルラン ド民謡、スウェーデンの糸巻き歌など、各国のメロディがあったから、ニュー オリンズでジャズが出て来た。 南軍とフランス軍が撤退した後、置いて行 った楽器もあった。(つづく)