続・あるクラスメイトの訃報2018/11/26 07:11

 17日に書いた広瀬章さんの訃報のブログを、経済学部U組のクラスメイト に送ったら、何人かから返信があった。 私は「娘さんからの年賀欠礼の葉書」 と書いたのだが、もしかしたら薩摩で島津氏の地位にいたかも知れない名門出 の一人からは「私のところにもお嬢様から知らせがありました」とあった。 江 戸川のガラス工場の親方のガラの悪さとの落差を感じたものである。

 それはさておき、娘さんとメールのやりとりが出来て、広瀬章さんの亡くな った事情がわかった。 正月までは元気で、「生涯現役ときわ会」の友達とも楽 しくやっていたし、新年のテニスに向けて利根川の土手辺りを沢山歩いていた そうだ。 初日の出を家から1キロ先まで歩いて見に行き、3日は明治神宮の あの砂利道を歩き、将門の井戸までみて、お節も沢山食べたという。

それが1月9日にハアハアして苦しいと言い出して、入院したのが12日。  肺の周りの胸膜に水が貯まっていて、それで息が苦しかったと判明。 胸膜の 癌、悪性胸膜中皮腫、アスベストの癌だった。 ご本人もびっくりしていたが、 調べると発症するまで50年ほどかかるとか、原因は全くわからない。 入院 生活50日と短かったが、最期まで頭はしゃんとしていたそうだ。 途中から 個室に替わり、携帯でときわ会の友達を呼び出して、話相手をしてもらってい た。 遺影も探すよう依頼していて、お陰様でいい笑顔の写真になったという。

 娘さんお一人での、看護、ご葬儀やその後のことなど、さぞ大変だったと思 うけれど、長く地元のことに尽して来られたことが、情けは人の為ならず、恐 らく遺影のエピソードに現れているように、支えになったのではないかと思わ れる。

 娘さんにとっては、九州男児で、家のことはやらない、頭が固い頑固な父親 だったというが(昨日の「日曜美術館」熊本の美術館の旅に「肥後もっこす」 という言葉が出た)、お母さんが亡くなってからの『共同生活』の頃には自分の ことは全部するようになり、だいぶ丸くなったので、「最後の10年はいい思い 出です」と言われる。

私の「うろ覚え」を娘さんに確認すると、それは正しかった。 広瀬章さん のお父上が小泉信三さんの教え子で、「章」の名は小泉信三さんの命名だという ものだ。 子供が産まれると長男に名前をつけてもらえたらしいのだが、長男 の卓(たかし)さんが4歳で亡くなり、次男だったが特別に「章」の名を頂け たのだそうである。 娘さんは「父はあの世で兄ちゃんに会えたかな? この世 では会ったことないはずです。」と。 そういえば、彼が慶應義塾大学経済学部 に入学した時、おそらくお父上と一緒に、広尾の小泉信三さんのお宅に挨拶に 行ったと、聞いたことがあった。

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