聖武天皇の皇太子時代の資料群と推定2018/12/14 07:07

 「年輪年代学」の通常の年輪年代測定では、分析対象に約100層以上の年輪 が刻まれていることが条件とされる。 しかし、1点1点の「木簡」や小型の 木製品には数十層程度の年輪しか含まれていない。 それでも「年輪年代学」 の対象になりうるのか、最初は不安だったという。 「斎串(いぐし)」という 木製の祭祀具が、奈良文化財研究所の庁舎の建て替えに伴う発掘調査の際に、 一カ所にまとまった状態で出土した。 「年輪年代学」の方法で木目を数値化 およびグラフ化してみたところ、似通った「斎串」同士は年輪のグラフもぴっ たり一致し、同一材からつくったことが判明した。 発見はそれだけではなく、 木目の検討からは一群の「斎串」たちが四つのグループに分類でき、かつ同グ ループ内の「斎串」は同一材からつくられたことがわかった。 また、完成品 の「斎串」だけでなく、割ったままの板材も一緒に出土しており、両者が元は 同一材であることもわかった。 こうして、板材をどのように割り割いて「斎 串」を作り出したかという、製作工程を鮮明に復元することができたのである。

 こうした調査成果をうけて、本格的に「木簡の年輪年代学」が取り掛かられ る。 最初の調査対象に選んだのは、2013(平成25)年度冬の発掘調査で出 土した「木簡」、斎串よりもさらに小さな「削屑(けずりくず)」だ。 法華寺 旧境内のすぐ南に隣接した所で、平城京の条坊道路の側溝や塀とみられる掘立 柱列などに加え、東西方向の溝が見つかった。 この東西溝からは計4355点 (うち削屑4253点)もの「木簡」が出土した。

 「皇」、「太子」と読める注目すべき2点の「削屑」があった。 この東西溝 は、検出状況に加え、養老7(723)年や神亀元(724)年の年紀を持つ「木簡」 が含まれることから、奈良時代前半に遡る遺構とみられる。 そして、この時 期の皇太子と言えば、東大寺の大仏建立などで名高い聖武天皇(即位前は首(お びと)皇子)を指すと考えられるのだ。 「年輪年代学」により、柾目材であ る両者の年輪を計測・分析したところ、年輪幅の増減のパターンに加え、実際 の年輪幅の数値までが、ほぼピタリと一致することがわかった。 両者が同一 木簡に由来する可能性が極めて高くなったのだ。 これによって、東西溝から 出土した「木簡」全体についても、皇太子時代の聖武天皇に関わる資料群であ る可能性が高まったといえるだろう、という。