インターネット文明論之概略<等々力短信 第1114号 2018.12.25.>2018/12/25 07:13

 「ひらめきが、訪れる。その瞬間が、やがて全てを変えて行く。積み重ねら れた考えや経験、思いや夢。そして私たちは、データやさまざまな刺激を吸収 して、アイデアを生み出していく。未来は、オープンだ。アイデアで変えられ る。それが日立の社会イノベーション。」という「世界ふしぎ発見!」で流れる CMが好きだ。 ガラス窓にKJ法を思わせるポストイットが沢山貼られてい る。 偶然剥がれ落ちた一枚に記されたアイデアから、解決策が生まれる。 私 は5・3カードやKJ法などの発想法で育ち、カタカナ・タイプライターからワ ープロへ、そしてパソコン通信の初期を体験した。

 12月13日、第707回三田演説会で村井純さんの「インターネット文明論之 概略」を聴いて来た。 「インターネットの父」と紹介された村井純さんだが、 私と同様、字が下手でカタカナ・タイプライターを打ち、ワープロが出た時は 嬉しくて、無理して買ったそうだ。 コンピューターの威力は、文字や音、画 像や動画まで、あらゆるものが数値化されたデジタルデータとして処理できる というパラダイムシフトにあった。 「人間の知識はどう進んでいくのか」、コ ンピューターを相互につなげるネットワーク技術によって、文明への共通基盤 を共有できるという汎用性を得ることになった。

村井さんは、インターネットが軍事から生まれたというのは、嘘だと言い、 1969(昭和44)年の二つのルーツを指摘する。 (1)「ARPANET(アーパネ ット)」のパケット通信と、(2)「UNIX」というOS(オペレーションシステム) だ。 (1)は、ARPA(現在のDARPA:アメリカ国防高等研究計画局の前身) で、国の資金で出来た研究成果のARPANETをオープンにして全世界に問いか け、よかったら納品することにした。 これがコンピューター・システムでデ ータ通信をおこなう規約、プロトコルTCP/IP(1982年の4.2BSD)の基とな った。 (2)はベル研究所が開発し、コンピューターの偉い時代から「人間 の側に立った」ものへという、パソコンの概念の基になった。

二つのルーツから、大学や研究所のコンピューターが世界中でつながった。  コンピューター技術とネットワークの結婚(実は慶應の方が先、1980年)、イ ンターネットの誕生(1990年WWW検索スタート)だ。 オープンソースで、 論文の発表、印刷、出版に半年かかっていたのが、お金をかけずに研究成果を 共有できるようになった。 90年代、英語から、多国語が使えるような世界標 準にしたのも、日本の貢献だそうだ。

 インターネットは、国境を意識せずにつくられてきた。 最近、それに逆行 するナショナリズムの動きがある。 村井純さんは、地球の課題、諸問題の解 決に、一人一人が参加して、知恵を合わせて未来を開くのが「インターネット 文明」だ、と。

『村上開新堂II』戦後の歩みを記録2018/12/25 07:16

 2015年に頂いたご本の続編、山本道子・山本馨里(かおり)著『村上開新堂 II』(講談社)を、また送って頂いた。 2014年に創業140年を記念して編ま れた『村上開新堂I』については、4回にわたって書き、その後、NHK BS『新 日本風土記』「皇居界隈」で放映された、その作業場についても触れた。

こだわりの西洋菓子「村上開新堂」<小人閑居日記 2015.5.28.>

武士からパティシエになった初代<小人閑居日記 2015.5.29.>

開新堂創業と、後継者の教育<小人閑居日記 2015.5.30.>

「村上開新堂」の味と哲学をつくった三代目<小人閑居日記 2015.5.31.>

村上開新堂・山本道子さんの作業場<小人閑居日記 2015.7.12.>

 『村上開新堂II』は、終戦の年に生れた現在の五代目当主・山本道子さんの 目を通して、戦後の村上開新堂の歩みを記録している。 この本もまた、図版 や写真が豊富に掲載されていて、美しく、楽しい、立派な本に仕上がっている。  以下、敬称を略す部分があるのをお許し願う。 一巻では山本道子さんの祖父 三代目・村上二郎が「村上開新堂」の味と哲学のほとんどを完成させたことが 述べられていた。 二巻は、道子さんのご両親、四代目發(あきら)と寿美子 の時代、そして道子さんが三代目の孫としてどのように育ち、「開新堂」らしい 感性を磨いていったか、どんな思いで「開新堂」を育んできたのかを、道子さ ん自身が綴っている。 本も立派だが、道子さんと「村上開新堂」の歩みもま た立派で、圧倒される思いがした。

 写真を見ると、今の道子さんによく似ていらっしゃる母寿美子さんが、夢だ ったレストランを始められたのには、三代目・二郎さんの小布施への転地療養 と、道子さんの姉・由希子さんの死があった。 由希子さんは、私の一年上で 存じ上げていて、そのことを下記に書いたことがあった。

村上由希子さん記念の奨学金制度<小人閑居日記 2011. 8. 21.>

 道子さんの夫君、山本昌英さんが由希子さんの同級生で住友商事勤務、道子 さんは大学3年の時21歳で結婚、翌年卒業し長女・珠貴さんが誕生したこと を知らなかった。 その翌年、夫君の転勤したニューヨークに、1歳の珠貴さ んを連れて渡ることになる。

 「村上開新堂」は、レストランを支えた歴代の料理長と支配人、元看護婦さ ん始め、従業員の方々に恵まれている。 最後のページにある全員のお名前の 掲載と集合写真の笑顔から、人を大事にする姿勢、その家族的な雰囲気が伝わ ってくる。