お石は、なぜ平之丞のもとを去ったのか2019/01/11 07:12

 昏れかかる日の残照が、明り障子にものかなしげな光を投げかけている。 別 れてから二十五年の月日が流れ、いま初老にはいった平之丞とお石は、淡々と した話をもう一刻(とき)ほども続けていた。

 お石は、京には長くいず、榁先生の世話でここへ来て二十年、ずっと独り身 で、子供たちに読み書きを教えて暮してきたという。 平之丞は、「……私は五 十歳、あなたも四十を越した、お互いにもう真実を告げ合ってもよい年ごろだ と思う、お石どの、あなたはどうしてあのとき出ていったのか」と、聞く。 お 石は、自分はあなたさまの妻にはなれない娘だった、どうしても、妻になって はいけなかったのだ、鉄性院さま(忠善)のおいかりにふれ、重科を仰せつけ られた小出小十郎の娘だ、と云う。 生涯蟄居の重い咎めを受けたとき、父は 喜んでいた、御血統の正しいことが明らかになれば自分の一身など問題ではな い、これで浪人から召し立てられた御恩の万分の一はお返し申せる、そう云っ て、不敬の罪をお詫びするために切腹致しました。 さむらいとして、決して 恥ずかしい死ではないと存じますが、重科はどこまでも重科、こなたさまの妻 になって、もしもその素性が知れた場合には、ご家名にかかわる大事になり兼 ねない、どんなことがあっても嫁にはなれぬ、そう思い決めた、と告白した。

 平之丞は、お石の身の上を知らず、母でさえ聞いていなかった、父は何も云 わず、何の証拠も遺さずに死んだ、あなたの素性は誰にもわかる惧れはなかっ た、とは云ったものの、けれど万一ということが考えられた、というお石の言 葉に、三十二歳のとき忠春の側がしらに任じられ、その出頭を妬む者から讒訴 されて、老臣列座の鞠問をうけた災難が頭をかすめた。

 「それではもし、そういう事情さえなかったら、あなたは私の妻になってく れたろうか」と、平之丞は聞く。 お石が自分の身の上を知ったのは十三歳の とき、はじめて父の遺書を読んでのことだった。 「そして、平之丞さまをお 好き申してはいけないのだと、幼ないあたまで自分を繰返し戒めました、いま 考えますとまことに子供らしいことでございますが」

 そこまで云いかけてお石は立ち、部屋の奥から紫色の袱紗に包んだ物を持っ てきた。 いつかせがまれて貸与えた翡翠の文鎮だった。 「お好き申さない 代りに、あなたさまの大事にしていらっしゃる品を、生涯の守りに頂いて置き たかったのです」 「では……」と平之丞は乾いたような声で云った。 「お 石はずいぶん辛かったのだな」 「はい、ずいぶん苦しゅうございました」

 なんというひとすじな心だろう、愛する者の将来に万一のことがあってはな らぬ、その惧れひとつでお石は自分の幸福を捨てた、――自分では気づかない が、男はつねにこういう女性の心に支えられているのだ。 平之丞は低頭する ようなおもいで心のうちにそう呟いた。

 ここまで山本周五郎の『小説 日本婦道記』「墨丸」を書き終わったところで、 たまたまテレビは12月20日の天皇陛下の記者会見の映像を流していた。 天 皇さまは涙声で、「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、 60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてき たことを、心から労(ねぎら)いたく思います。」と、語っていた。