経済史・経営史から見た福沢のマージナル性2019/01/18 07:18

 井奥成彦さんの研究対象は、近世と近代を連続した時代と考え、近世から近 代へと連続して発展した在来産業であり、特に酒造業への福沢のスタンス。 福 沢の時代の酒造業は、日本の工業部門の中で最も重要な産業だった。 「明治 7年府県物産表」でも第1位で、2位の綿織物以下を大きく引き離している。  福沢門下にも酒造業の子弟(裕福)が多い。

 1881(明治14)年の『時事小言』に、尾州知多郡の酒造業の事例があり、「五 六十年以前マデハ純然タル田舎醸ノ流儀」だったのが、「酒造法近年大ニ進歩、 其酒の品格ハ灘伊丹ノ醸造ヲ除テ天下第一流」になったとして、天保9(1 838) 年の盛田久左衛門の酒造改革を紹介している。 盛田家は、ソニー創業者、盛 田昭夫の生家だ。 全国的に古い方法で酒造を行うと仮定すると、3400万円の 損亡となり、それは政府歳入の半額にもなる。 盛田久左衛門の改革は、米の 精白(糠がなくなる)、貯蔵桶と造り桶の区別(腐敗の原因)、水の量を多くす る(すっきりした美味しいお酒になる)。 福沢は、学問の主義、物理化学の実 学を、殖産の道に活用すること、理論と実際の融合を説き、一国の貧富はこう した殖産のことを学問視するか、しないかにかかっているとした。

 (つぎに井奥成彦さんが紹介した時事新報社説の内、前の二つは、2018年4 月から毎月聴講している福澤諭吉協会の公開講座、小室正紀さんの「『時事新報』 経済論を読む」の10月24日でも聴いていた。)

 〇明治16(1883)年7月9・11日付『時事新報』社説「酒造家ノ状況」  国の歳入を増加する要は、もっぱら酒税に頼るのが最も妙で最も容易だ。 酒 造家の事情に通暁して、検査納税の方法を改正すれば、酒造家にも便利で税額 も増える。 (1)桶、一律に課税するのでなく、大きさに合わせる。(2)検 査を待っていて腐敗することがあるので、検査は滓(かす)引き後に実施する。 (3)納付時期を出荷して売上の入る時期に遅らせる。

〇同年7月12・13日付『時事新報』社説「酒造業ヲ保護スヘシ」  酒の贋造模倣を防ぎ善良な酒造家を保護するために、酒類販売にのみに関す る特別の商標条例を定めるべきである。

 〇明治18(1885)年12月15日付『時事新報』社説「尾州知多郡の酒造改良」  明治16年春頃、知多郡の酒造家百数十名、工部省に請願し、工部大技長宇 都宮三郎を招聘、「化学器械学の主義」を習う。 「元来醸造は純然たる学問の 事…科学上より研究せざる可らずとの道理は宇都宮君の懇諭する所」。 明治 16年秋、伊藤孫左衛門ら、清酒研究所設立。

★公正な税の取り方を主張→「酒造業を保護すべし」

★科学的根拠に基づく醸造を主張し、日本の「経験」と西洋の「科学」の融合、 伝統と西欧化の融合を説いた。

醤油醸造家浜口梧陵との交流で見せた商人気取り(?)。

 安政元(1854)年の大地震と津波の際に和歌山で人々を救った「稲むらの火」 と私財を擲って堤防を築いたことで有名なヤマサ醤油7代目の浜口梧陵は、明 治3(1870)年に和歌山に作った英学校(共立学舎)のテキストを、福沢に30 円で120冊注文した。 福沢は156冊も送り、手紙に「精々相働き、品物にて 三割引…三拾六部は品物にて御まけに差上申候、即定価三割引也」とした。

 明治2(1869)年、福沢は「福澤屋諭吉」という屋号を登録して書林組合に 加入した。 福沢のマージナル性を象徴するような名前である。