作家・山本周五郎の生い立ち2019/01/22 07:16

 山本周五郎の人となりについて、『小説 日本婦道記』(新潮文庫)の木村久邇 典さんの解説を読んで、深く感じるところがあったので、書いておきたい。

 山本周五郎は、本名を清水三十六(さとむ)といい、明治36(1903)年に 山梨県北都留郡初狩村(現在の大月市)で生れ、4歳の時、山津波のため祖父 母、叔父叔母の肉親4人を、住居とともに一瞬にして失い、共に助かった母と くに伴われて、たまたま上京中だった父逸太郎のもとへ身を寄せ、東京の王子 で学齢期に達するまで育った。 父は、甲州にいた頃から、繭の仲買を業とし ていて、三十六少年が小学校へ上がると、間もなく同業者が集まっている横浜 へ移住したので、西区の西戸部小学校に転校、翌明治44(1911)年に学区の編 成替えで西前小学校の二年生になる。 小学校三年生の時、受持の水野実先生 から「君は小説家になれ」と言われ、作家を志望するようになったそうだ。 在 学中、校長先生から校内新聞の責任者を命じられたり、学級回覧雑誌を編集す るなど、幼くしてすでに優れた文才を示していたという。

 三十六少年は中学校への進学を希望していたが、家の経済事情から、大正5 (1916)年3月、小学校を卒業すると、知人の口ききで、東京木挽町の山本周 五郎質店に徒弟として住み込んだ。 三十六少年にとって大いに幸いだったの は、木挽町の山本周五郎質店の店主が、洒落斎(しゃらくさい)翁と号した独 自の人生観の持主で、この好学の少年と競い合うように、人文科学や自然科学 の読書に励み、正則英語学校や大原簿記学校などの夜学に通わせてくれた上に、 文筆で自立するまで、物心両面にわたって、よき理解者、支援者であったこと だ。 山本周五郎は洒落斎翁を、終生“生涯の恩人”と呼び、実の父以上に“真 実の父”であると言った。 山本周五郎がのちに、店主の名をペンネームにし たのも、“真実の父”に対する敬愛と自戒の念の発露だったと思われる、と木村 久邇典さんは書いている。

 山本周五郎は、直木賞をはじめ、持ち込まれる文学賞をすべて辞退し、「作者 にとって、読者から与えられる以上の賞があろうとは思われぬ」と、言ってい たそうだ。 その山本周五郎の本名が清水三十六で、直木賞の直木三十五より 一つ多いのが、何となく面白い。

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