山本周五郎の手紙から2019/01/25 07:14

 木村久邇典さんは、添田唖禅坊・添田知道の『空襲下日記』(刀水書房)と共 に、土岐雄三編『山本周五郎からの手紙』(未来社)を、山本周五郎に関する第 一級資料ともいうべき本だと言う。 そして昭和24(1949)年11月2日付の 土岐雄三宛書簡を、山本周五郎作品の研究に見落とせない内容を含んでいると する。 その封書を引く。

 「僕が最も切実に“そいつ”(傍点)と対面したのは前の女房の死ぬときだつ た。そのとき女房に死なれることは僕自身が死ぬよりも痛烈な絶望だつた。三 歳の幼児がゐなかつたら一緒に死んだらうと思ふ(確言はしないが)僕はまつ 暗なその絶望と苦悶からのがれなければならなかつた。さうして考へた。―― 千年も経てばわれわれが生きてゐたといふ事実さへ消滅してしまふ。墓石さへ 無くなってしまふだらう。しかもその「千年」なる時間は自然の極小の経過で しかない。/僕は千年後の眼で女房の死や自分の絶望をかへりみた。なにをう ろうろすることがあるだらう、みんな亡びてしまふのだ。」

 「僕はこんどこそ“やられる” (傍点)といふ死の予感におそはれて、何度 か遺言状を書いたことがある。まぎれもなく「こんどこそは“やられるぞ” (傍 点)」といふ実感におそはれるのだ。(中略)/だがそのうちに一種の悟りめい たものを把んだ。/――妻や子供たちには妻や子供たちの人生がある。(中略) 僕は自分で実感としてそれを把んだのだ。どんな暴い風雪の中でも育つものは 育つ。或る人間はそれ自身の人生と運命を持つてゐる。――その後は遺書を書 かなくなつた。現在でもときに痛切な「死の予感」におそはれる、そのとき末 子の徹(当時7歳)のことを思ふと息が苦しくなる。しかし遺書を書くことは しない。  ――千年も経てば……。  周  雄三様」

 木村久邇典さんによれば、山本周五郎のこの生命観は昭和31(1956)年53 歳の作品『将監さまの細みち』に構成されているという。 主人公のおひろは、 大きな八百屋の息子常吉よりも、裏店の貧乏人の倅で気の弱い“負け犬”の利 助を良人に選んだ。 だが利助は病身で職も持たず、子供を抱えたおひろは、 “通い”という約束で岡場所で春をひさぎ、ようやく一家を支えている。 彼 女はみずからにいい聞かせるように云う。  「――五十年まえには、あたしはこの世に生れてはいなかった。そして五十 年あとには、死んでしまって、もうこの世にはいない。……あたしってものは、 つまりはいないのも同然じゃないの、苦しいおもいも辛いおもいも僅かそのあ いだのことだ、たいしたことないじゃないのって、思ったのよ。可笑しいでし ょ、お寺さまの云うようなことで、でも本当なのよ、辛いこと苦しいことのあ るたんびに、あたし自分に云いきかせてきたのよ」

天覧相撲の時を共に<等々力短信 第1115号 2019.1.25.>2019/01/25 07:17

 昨年の初場所の頃だった、息子が久しぶりに大相撲が観たいと言う。 日本 相撲協会のサイトでチケットの入手方法を見たら、抽選販売の申し込みができ るとわかった。 日曜日しか時間がないというので、千秋楽と初日と中日を第 三希望までにして、二階のイス席の前の方を申し込んでみた。 東京の場所だ けだから、まず五月場所。 落選。 九月場所も落選。 日曜日など、なかな か当たらないものだと知る。 半ばあきらめながら、初場所もトライしてみた。  すると、中日の1月20日に当選したのだ。

 12月8日に2階正面4列のチケットをゲットして、楽しみに待っていると、 たまたま歌会始のことをブログに書こうとして覗いた宮内庁のサイトのニュー スで、20日が天覧相撲だと知った。 貴賓席は近そうだ。 当選も天覧相撲も、 偶然も偶然、何という幸運だろう。 天皇皇后両陛下、平成最後の天覧相撲、 昨年の初場所は日馬富士の事件などで日本相撲協会が辞退したので、2年ぶり、 23回目となる天覧相撲だ。

 入口で金属探知機をくぐり、荷物検査もある厳重警戒である。 席は、貴賓 席が斜め右15メートルほどに見える場所。 最終的には、私たちの一人おい て隣端に係官が座り、次のブロックは皆、警視庁か皇宮警察か、黒いスーツの 連中だけが座った。

 天皇皇后両陛下がお入りになるのは、5時を回った幕内の後半戦からだから、 残りは9番しかない。 もっと早く、せめて幕内や横綱の土俵入りから、ご覧 になって頂けばよいのにと思う。 以前は、幕内土俵入りが丸く土俵を囲むの ではなく、「御前掛かり」でやっていたそうだから、中入りからご覧になってい たのだ。 「御前掛かり」は、貴賓席に向って4列に並び、全員揃って右2回、 左1回の四股を踏み、蹲踞(そんきょ)の姿勢になる。 四股名を呼ばれた力 士が順に立ち上がり、一礼して土俵を下りる。 2007(平成19)年初場所13 日目が最後で、10年以上行われていないそうだ。

 両陛下は、審判・行司、観客が起立して、拍手でお迎えする中、席におつき になった。 八角理事長が説明役で後ろに控える。 隠岐の海・大栄翔の一番 から、お話や拍手をされながら、楽しそうにご覧になっている。 好取組、阿 武咲・貴景勝、注目の22歳対決は、貴景勝が勝って共に2敗。 豪栄道は玉 鷲(2敗)に、高安は松鳳山に敗れ、大関は悲惨な状態。 立行司に昇進襲名 した41代式守伊之助が、「この一番で本日の『打ち止め』」でなく『結びでご ざりまする』、白鵬は碧山を下手投げ、一人全勝を守る。

 力のこもった春日龍の弓取式までご覧になった両陛下、四方八方に手を振っ てのお帰りに、満場の観衆が拍手喝采でお見送りする。 ご退出前、万歳、万 歳となったのには、平成をあのようにお務めになってきた両陛下への感謝の気 持が滲み出た。