金栗四三の生れた熊本の春富村は和水(なごみ)町2019/02/03 08:36

 今年の大河ドラマ『いだてん―東京オリムピック噺』、宮藤官九郎の作、スピ ーディーなドタバタ喜劇調で始まった。 日本初のオリンピック選手として 1912年のストックホルム大会にマラソン競技に出場した金栗四三(かなぐり・ しそう、しぞうとも)(中村勘九郎)は1891(明治24)年8月20日の熊本県 玉名郡春富村の生れ、父の信彦(田口トモロヲ)43歳の子だから四三と名付け られた。 東京オリムピック噺を語る古今亭志ん生(ビートたけし、青年期は 森山未來)、本名美濃部孝蔵は、その一年前1890(明治23)年6月28日の東 京市神田区神田亀住町(現、外神田)生れ、巡査だった父親の命名には、親孝 行をして蔵のひとつも建ててくれという願いがこめられていたそうだ。

 金栗四三の生れた熊本県玉名郡春富村は、現在の和水(なごみ)町にあり、 実は『いだてん―東京オリムピック噺』が1月6日に始まった3日前、NHK が盛んに予告編を流していた頃、1月3日午後6時10分に震度6弱の地震が 和水町を中心に発生したのだった。 しかしニュースでは、和水町が金栗四三 の出身地であることと関連付けて報じられることはなかったと思う。 1月26 日午後2時16分頃にも、和水町で震度5弱の地震があった。

 ドラマでは、春富村から父の信彦が四三を連れて、熊本第五高等中学校長の 嘉納治五郎(役所広司)に抱いてもらうため、20キロの道を歩いて行く、その 途中だったか西南戦争の激戦地、田原坂を通った、春富村は田原坂とも近いこ とをやっていた。

 11月17日「あるクラスメイトの訃報」に、広瀬章さんの生まれ故郷は「玉 東町」(旧木葉村)で熊本市の中心部から約20km程の山村、近くに西南戦争 で有名な“田原坂”があり、小学校の春の遠足地だったそうだ、と書いた。 玉 名郡玉東町を地図で見たら、春富村の和水町と熊本市の間にあった。 広瀬章 さんが『いだてん―東京オリムピック噺』を見たら、さぞ喜んだことだろう、 と思った。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック