徳富蘆花『不如帰』のモデル問題二件2019/02/09 07:20

 大河ドラマ『いだてん―東京オリムピック噺』で、三島弥彦(生田斗真)の 三島家、兄の弥太郎(小澤征悦(ゆきよし))は横浜正金銀行副頭取である。 母 和歌子(白石加代子)と、女中シマ(杉咲花)の間で、徳富蘆花の小説『不如 帰』が話題になる。 和歌子は自身がそのモデルになっているのではと疑い、 シマは嘘で言い逃れるが、二人は映画化されたのを浅草で観て、和歌子は立腹 する。 小説『不如帰』は、1898(明治31)年11月から翌年5月まで国民新 聞に連載され、1900(明治33)年1月民友社から刊行され、明治の一大ベス トセラーとなった。 オリンピックのストックホルム大会は、1912(明治45) 年5月から開かれている。

 小説『不如帰』のあらすじ、片岡陸軍中将の娘浪子は、海軍少尉川島武男と 結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑のお慶によって武男の留守 中に離縁される。 二人の愛情は途絶えなかったが、救われるすべのないまま、 浪子は、「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生 きたいわ! ああつらい! つらい! もう女なんぞに生れはしませんよ」と、嘆 いて死ぬ。

 三島弥太郎は最初(1893(明治26)年4月)、大山巌大将の長女信子と結婚 したが離別、四条侯爵の三女加根子と再婚している。 徳富蘆花は、この三島 弥太郎と信子の結婚と離婚をモデルに、小説『不如帰』を書いたという。 片 岡陸軍中将を大山巌大将、浪子を信子、川島武男を三島弥太郎とすれば、悪役 の姑のお慶に当たる母和歌子が立腹しても当然で、大河ドラマの白石加代子の 怒りの顏が目に浮かぶ。

 小説『不如帰』では、実家に戻された浪子が、今度は薄情な継母に疎まれ、 父が建ててくれた離れで、寂しくはかない生涯を終える。 大山巌には先妻と の間に娘が三人いて、その長女が信子、結核のため20歳で早世していたから、 世間がこの継母と考えたのが、大山捨松である。 大山捨松については、当日 記に「山川健次郎の妹、さき(大山捨松)の留学」<小人閑居日記 2013.8.12. >、「大山巌との結婚、その後の活躍」<小人閑居日記 2013.8.13.>に書いた ことがある。 小説に描かれた冷淡な継母が捨松の実像と信じた読者からの誹 謗中傷や風評に、捨松は晩年まで悩んでいたという。 見かねた津田梅子が、 三島家に乗り込んで姑に猛抗議したそうだ。 実際の捨松は、看護婦の資格も あり、親身に信子の看護をし、邸内の陽当たりのよい場所に離れを建てさせた のも、気兼ねせずに結核の療養ができるようにという思いやりだったという。  徳富蘆花から、この件について「お気の毒にたえない」と公の謝罪があったの は、『不如帰』上梓から19年を経た1919(大正8)年、捨松が急逝する直前の ことだったそうだ。