自由が丘で、本屋が生き続けるために2019/02/14 07:17

 門坂直美さんは、家族は姉の千尋さんも含めIQが天才だったのに、私ひと り凡人で、勉強しろとは言われず、その分自由に、好きなことを全部やって育 ったという。 小学校から高校まで田園調布雙葉に通ったが、お嬢様ばかりの 学校、母は店優先で、父母面談以外、一度も学校に来たことがないのは、寂し かった。 本屋は好きだったけれど、全くやる気はなかった。 短大を出て、 外に就職、20年間会社員をしたが、40歳の1990(平成2)年、不二屋書店に 転職した。 67歳になっていた二代目社長の母が喜んでくれたのは、嬉しかっ た。 姉は家庭第一で、商売人でなかったので、母がひとりで苦労していて大 変だった。 母から学んだのは、何事に対しても誠実に生きること、逃げちゃ いけない、何よりも店に対する責任を優先することだった。 バブル崩壊が始 まり、会社員時代の給料を保証する約束など、とんでもなく、役員になったの で、ボーナスもない。

 そこで、淘汰が進む中、なぜ不二屋書店が生き残れたのか。 新しく出店す る店は、自由が丘の一般的なイメージ、ハイソで、新しいことを好むというイ メージに囚われて出てくる。 ところが、実は、地元の人は堅実で、保守的、 インテリジェンスがあり、浮ついたところがない。 マーケットリサーチなど も行なって出てくるのだろうが、そこを読み間違える。 不二屋書店は、見極 めがついていたので、生き残れた。 本屋は粗利が二割、そこから人件費始め 全ての経費を出す、薄利多売の商売で、好きじゃなければ出来ない。 残って いる本屋のほとんどが、ビルの賃貸業を兼ねている。

 祖父の教えに、こんなのがあった。 なぜ駅前の一等地の本屋なのか。 仕 事に疲れた帰りがけに、ちょっと本屋に寄って一息入れて、気持を切り替えて 家庭に帰ってほしい。 だから、この場所で本屋以外はやってはいけない。 一 等地で商売させてもらっている恩恵を、街に還元しなさい。

 2006(平成18)年に三代目社長になった直美さんは、不二屋書店が生き続 けるために、どうやって経営するか考えた。 ああやってみよう、こうやって みようと、考えることが好きで、商売に向いている、楽しい。 柱は、「「街の 本屋」に徹しよう」と、「街の発展に尽くす」。 2010(平成22)年は電子書 籍元年といわれ、2013(平成25)年書籍電子化が進むことを見据え、商品構 成を見直し、(1)ご高齢者向け商品、(2)学習参考書、(3)児童書に、力を入 れることにした。 (1)紙の本で読みたい方がいる、歴史小説など。 (2) 自由が丘は安全な街で、子供を通わせる親が多く、塾は代々木ゼミ以外全部あ るといわれる。 (3)「街の本屋」には、地元の子供を見守り育てる使命があ る。子供は児童書で、本そのものに愛着を持ち、いろいろなことを学ぶ、想像 力を広げる。何歳の子に、どんな本がよいか、気軽に聞いてもらえる本屋。

 「街の発展に尽くす」。 街が発展しても個店がダメになることはあるけれど、 街が衰退していく中で特定の個店だけが発展し続けることはあり得ない。 門 坂直美さんは、暮らしやすい街づくりのために、20何年前から目についた野良 猫を保護し、避妊去勢し、里親を探すなどの活動を一人でこつこつ始めた。 店 の横にポスターを出すと、ご近所の「白日荘」主人で動物行動学者の平岩米吉 さんの長女、平岩由伎子さん(猫の研究家)が応援してくれ、亡くなる前年ま で春秋餌を届けてくれた。 今、「白日荘」の保存運動を通じて、「暮らしやす い街」であり続けるためには、商店街と住民がともに考え行動していくことが、 不可欠であることを切実に感じている。