<戦日に逝きし船人を悼む碑の彼方に見ゆる海平らけし>2019/02/19 07:14

 私は「戦没船員の碑」が観音崎公園にあることを知らなかった。 観音崎灯 台へは、小学校の遠足で行ったことがある。 灯台に登って、プリズムを丸く 何重にも重ねて球体にしたキラキラ輝くレンズを見た。 修学旅行は日光だっ たので、4年生か5年生だったのか、どうやって行ったのだろうか、ぜんぜん 憶えていない。

 公益財団法人日本殉職船員顕彰会のサイトに、「戦没船員の碑」のことが出て いた。 建立までの経緯は、昭和44(1969)年海運・水産界の関係者によっ て、報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦 火のない海洋永遠の平和を祈念するため、慰霊碑建立のための財団法人戦没船 員の碑建立会が設立された。 1億4千万円の募金が集められ、場所は眼下に 大小の船舶が往来する浦賀水道、そして太平洋の水平線が望める観音崎の丘に 決められた。 敷地は4,300平方メートルで、昭和46(1971)年3月に完成 した。 「安らかにねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに」と刻まれた 吉村順三東京藝術大学教授設計の碑文石、高さ24メートルの白磁の大碑壁が つくられ、菊地一雄同大学彫刻科教授制作のブロンズ群像がある。

 敷地内には、三角形の天皇陛下御製の碑、皇后陛下御歌の碑がある。 御製 は<戦日(いくさび)に逝きし船人を悼む碑の彼方に見ゆる海平らけし>、平 成4(1992)年に「戦没船員の碑」に供花された時に詠まれたもの。 皇后陛 下の御歌は、完成した昭和46(1971)年の追悼式にご臨席なさった折の、 <かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝き給ひしか>。 追悼 式がかなりな大雨の中で行なわれたことが分かる。

 「戦没船員の碑」のある観音崎公園へは、京急浦賀駅から観音崎行きバスで 約15分、終点下車、徒歩10~15分。 車だと、横浜横須賀道路の佐原インタ ーで降り、観音崎バス停を目標に行く、といいそうだ。

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