春風亭一朝の「芝居の喧嘩」前半2019/03/01 07:11

 一朝の「芝居の喧嘩」は、6年半前の2012年6月26日の第529回でも聴い ている。 一朝は、熱演だった三遊亭萬橘の汗を、手拭で拭いて、ご来場で御 礼を申し上げます、わざとらしいけれどと例の「名前が一朝だから、一朝懸命 にやります」をやった。 真打、真(心・芯)を打つ、トリを取る、という。  大先輩の師匠は、誰とは言えないけれど、仮に円歌師匠、先代のとしておく、 最後に高座の明りにしていた百目蝋燭の芯を切る、寄席はいんぎ(縁起)をか ついで、切ると言わないで、芯を打つからだと言っていた。 本当かどうかは わからない。 師匠の先代柳朝は、嘘だな、と言っていた。 ご通家はご存知 ですが、二人はそちらの方では双璧といわれていて、柳朝師匠は可愛らしい嘘 をつく。 弟弟子が嘘つきの小咄でやっていた。 沼に入り、水の上に立って いる師匠が、沈まない。 よく見ると、中で円歌師匠が肩車をしていた。

寄席の上がりは、席亭とトリ(真打)が全部取った。 トリの取った分を、 トリが分ける。 人数分に分けるから、給金を割りという。 入りが悪いと、 トリが身銭を切る。 だから大幹部でないと、トリを取れない。 昔は人情噺 で撥ねたもので、人情噺が出来ないと噺家ではない、トリを取れない。 圓朝 は、お終いに山を持って来て、明日につなぐ。 名人でない者は、お終いに面 白いことを言って、明日につなぐ。 下げ、落ち……、それが落し噺になった。  下げは15種あるといわれている。 トントン落ち、まぬけ落ち、地口落ち… ……、私もよく知らない。 最近の寄席、落ちまで行けない、時間がない。 1 時間に7人出て、60分を7で割ると、1人が………、6人だと1人10分だけ れど、1人10分もない。 落ちを言う時間がない、冗談言っちゃあいけねえ、 で下りるのを「冗談落ち」。

 講釈には「切れ場」がある。 一つの話に、50~70日かかる。 お終いを盛 り上げ、張り扇で釈台を叩いて、「安兵衛が、高田馬場の辻に駆けつけて来た!  これから面白いが…、続きは、また明日」、とやる。 だが翌日になると、面白 くも何ともない、そして、今の講談界がある(と、言って、「冗談です」と腰を 浮かし、手を広げて客席を制した)。

 歌舞伎、大向うから声が掛かる。 「タヤッ」、音羽屋、尾上菊五郎、市川団 十郎が成田屋、中村吉右衛門が播磨屋、松本幸四郎が高麗屋、三木のり平が桃 屋……嘘です。 噺家は、住んでる町名で呼ぶ。 先代文楽、「待ってました! 黒門町」。 稲荷町、柏木、矢来町と、かっこいいが、私などは、都営住宅三号 棟。 大向こうからは花道の出が見えないので、揚幕のチャリンという音から、 勘で言っている。 間違いはないが、時々ある。 十七代勘三郎、中村屋に、 どうしたわけか、「タヤッ!」、音羽屋?、「…じゃない!」

 横笛を吹いていたので、二ッ目の頃、十年くらい歌舞伎座に通っていた。 六 代目の歌右衛門、成駒屋さんに褒められて、ご祝儀をもらったことがある。 枝 折戸を開けると、二間の楽屋、(女形の調子で)「はい、ご苦労様」と言われた。  落語の仕事があって、三日休んだ。 また呼ばれて、「あーた、休んじゃあ駄目 よ」と。 プロンプターがつくことがある。 耳が遠くなって、「エッ」と聞き 返すので、無線を使った。 カツラから耳にイヤホーンを通す。 国立大劇場 で、裏の隼町の通りを通過中のパトカーが、桜田門の本庁に連絡した無線が入 った。 舞台で、「了解、了解!」 本当の話です、多少脚色しているけれど。

 二代目松緑、紀尾井町、ひと月やっていると厭きるので、中日過ぎに遊ぶ。 茶店の場面、お姐さん、茶一杯くれ、と言うだけなのに、お姐さん、年は幾つ?  まだ入りたてで。 国は? 東京です。 馬鹿野郎。 大笑いになった。

初代吉右衛門と六代目菊五郎、性格が正反対だった。 吉右衛門は厳格で、 袖でもう加藤清正になって、出を待っている。 菊五郎は、ざっくばらんで、 出る前まで、みんなと話をしていて、出て行く。 ゴンという銅鑼、木槌の親 方みたいなもので叩く。 間が悪い、と呼ばれる。 毎日、駄目出しをされて、 パニックになる。 下に落として、ゴロンと鳴った。 吉右衛門、今日が一番 よかった、と。

かみさんの父が先代の片岡市蔵、片市という役者で、面白い人だった。 私 は「湯屋番」で、石鹸と間違えて、軽石でこするというのを、つい、軽石と間 違えて、石鹸でこすると、やってしまう。 言い憎い言い回しがあって、片市 は、花道から武士になって登場して、「向うに見えるのは、頼政、ありゃあ、提 灯」というのを、「向うに見えるのは、提灯、ありゃあ、提灯」と、やってしま う。 実家が湯島で、鈴本の帰りにかみさんと松坂屋で買物をして、私が荷物 を持ち、実家へ行く途中で会った。 「バカヤロ、亭主に荷物を持たすんじゃ ない」と、娘を怒鳴った。 お父さんは手に鍋を提げていて、豆腐を買いに行 かされる途中だった。 説得力のない小言だった。

春風亭一朝の「芝居の喧嘩」後半2019/03/02 07:07

おう、そこを行くのは市郎兵衛さん、途中でちょっと、付き合ってもらいた い所がある。 相撲か、芝居に付き合ってもらいたい。 相撲は、一枡、大関 を何場所も通している鬼熊と川魚(かわざかな)がやる。 鬼熊は若いが、川 魚は古株、鬼熊はぶちかましが強いが、川魚は古いのにあたると怖い。 勘弁 してよ、相撲は嫌いなんだ、大きい方が勝つんだろう。 小が大を投げ飛ばす ことが、たまにあって面白い。 仕切りが長い。 酒を飲んで、つないでりゃ あいい。 相撲の汚いケツを見てもしょうがない。 芝居はいい、女形もいい が、まわりにもいい女が来る。 悪い野郎が痛い目に合うところがいい。 相 撲は、本当にやる。 いいから、今日は俺に付き合え。 手拭いで頬っ被りを して行くか。

 木挽町の山村座。 混んでくると、御膝送りを願います、と若い衆。 半畳 という小さな名入りの座布団が、半券代わり。 桟敷で、前につめさせ、「半畳 改め」をする。 「でんぼう(伝法)」だ、顔パスや楽屋から入る、花道の七三 に唐桟の着物に半纏の男、半畳は端(はな)からない。 出てってくれ、客じ ゃない、「でんぼう」だ、張り倒せ。 芝居小屋の若い連中が、皆でそいつをボ コボコにする。 喧嘩だ、面白い。 そこへお茶子が半畳を持って来た。 ち ゃんと払っていたのだ。 雷の重五郎、町奴・幡随院長兵衛の子分だという。  雷が怒っているぞ。 なるほど。 そこに町奴と対立している四谷の旗本奴・ 白柄組(しらつかぐみ)水野十郎左衛門の四天王の一人、金時金兵衛がいたの で、揉め事が大きくなる。 唐犬権兵衛と、頬っ被りの男、夢市郎兵衛は長兵 衛の手下、雷の重五郎と一緒に、金時金兵衛をひっくり返して、足で踏んづけ る。 水野方は、押っ取り刀で、赤鬼の喜平、釣鐘の弥左衛門、風鈴の源兵衛 らが駆けつけ、幡随院長兵衛、水野十郎左衛門の間で、血の雨が降る。 これ から面白いが…、続きは、また。 と、講釈の「切れ場」で終わる。

「世界ふれあい街歩き」ちょっとお散歩2019/03/03 08:59

 朝ドラの『まんぷく』を7時半からのBSプレミアムで見ているので、それ に続く10分か15分も、つい見てしまう。 火野正平の「にっぽん縦断 ここ ろ旅」朝版、岩合光昭の「世界ネコ歩き」mini、「世界ふれあい街歩き」ちょ っとお散歩。 長いのもやっているのは知っているが、このダイジェスト版の 方が簡便だ。

 最近の「世界ふれあい街歩き」ちょっとお散歩、から。 イタリア、ブロチ ダ。 イタリア南部、ブロチダ島はナポリ西南西21キロのティレニア海上に ある火山島。 中世より続く旧市街テッラムータ、漁師や船員が多く住むコリ チェッラなどの集落がある。 コリチェッラで屯していた船員だったというお じさん達が、日本人と知って声をかけてくる。 「コウベ! モトマチ!」「ア ケミ! マサコ! アキコ! ♪アイシチャツタノヨー」。 色取り取りに塗ら れた建物は、船で久しぶりに帰って来た男たちが、海上から自分の家がはっき り分かるようにするためだという。

 アイスランド、レイキャビック。 人口30万人の国の首都、約40%の12 万人が住む。 町中にある小さな国会の議員は63人。 男はバイキングの末 裔だから力自慢だとか。 広場から蒸気が噴き出しているのは、火山島で地熱 発電が盛ん。 ごろごろと岩が置かれている、岩には妖精がいると考えられて いて、大きな岩は妖精の教会だと。

 スぺイン、へレス・デラ・フロンテーラ。 ジブラルタル海峡に近い。 フ ロンテーラは、フロンティア、キリスト教国とイスラム教国の境。 フラメン コの街、朝からワインを(名産のシェリー酒か)飲んでいる。

 タイ、プーケット。 イスラム教、仏教が混在。 観音堂ではおみくじがあ り、托鉢の僧が篤く扱われる。 放生のための亀や鰻が売られていて、落語の 「後生鰻」の時代(江戸期から明治初期か)と習慣が、今もあるのが興味深か った。

 韓国、仁川(インチョン)。 名前はよく聞くが、街中の様子を見るのは初め てだった。 1879(明治12)年、日韓修好条約で開港された。 国際都市。 地の野菜しかなかったところに、中国人が西洋野菜を持ち込み、着物の日本女 性が手にしている記念の像があった。 日本人が神父を務めたこともある外国 人を受け容れた教会。 かつての日本人街の名残り。 華僑学校。 2001年ハ ブ空港開港。

岩合光昭の「世界ネコ歩き」mini2019/03/04 06:51

 岩合光昭の「世界ネコ歩き」mini、猫は好きではないが、猫好きの岩合さん が、世界中の猫に愛情をもって文字通り密着した映像は、その背後の景色とと もに興味深いものがある。 雪に覆われた冬の青森のリンゴ園や漁村に暮らす 猫。 イタリア半島の西のつけ根、チンクエテッレ(「五つの土地」)、漁師が獲 って来た魚を分け与えるのはシチリアだったか。 アメリカはチャールストン のいかにも南部らしい建物にも、そしてニューヨークのホテルにも猫はいる。  ベトナム?の足で漕ぐ漁師の舟、タイの寺院や仏像彫刻屋、台湾の漁村、香港 の果物屋など、アジアの各地でも猫は可愛がられていた。 猫のことを知る「猫 識(ねこしき)」のコーナーもある。 両方の目の色が違う猫がいる。 オッド アイ、日本では「金目銀目」という。 白猫に多いそうだ。 猫の歩き方を、 雪の上の足跡で、教えてくれたのには、なるほどと思った。

 岩合光昭さん、子供が小さい時から、動物写真家として名前は知っていた。  朝日新聞夕刊の「オトコの別腹」(2月22日)に、神楽坂 紀の善のあんみつを 挙げていた。 甘いものは和洋問わず好きなのだという。 紀の善のご夫妻と は、神楽坂のネコ好きの料亭の女将に、ネコ好き同士を紹介しますと、言われ て以来だとのこと。 岩合光昭さん、初監督の映画『ねことじいちゃん』が、 この記事の出た日に公開され、同名の写真集(クレヴィス)も刊行、写真展が 大阪、名古屋で開催中だそうだ。 「世界ネコ歩き」などのロケ先でも、甘い 物はよく食べる。 ただ甘いだけじゃないお菓子で、工夫してこだわって作っ たものは、自然にわかるという。 今度の映画でも、息子が父の料理を「何と は言えないけど、おふくろと同じ味」と言うシーンがあるけれど、まさにそん な感じのお菓子が記憶に残るそうだ。

火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅」朝版2019/03/05 07:13

 火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅」朝版。 俳優の火野正平さん(1949 (昭和24)年生れ69歳)が、チャリオ君と名付けた自転車に乗って、視聴者 から寄せられた手紙にある思い出の、「こころの風景」の場所へと向かう。 7 年以上続き、昨年秋からは、北海道から南下して、静岡までだったが、出だし で北海道胆振東部地震に遭遇した。 一行は5、6人だが、別にカメラを構え るクルーやサポートのメンバーもいる。 途中で、さまざまな飲食店に寄って 昼飯、この場面がけっこう多い。 正平さんは辛いのが好きで、タバスコを多 用する、そして「ムセ芸」を見せる。 寄って来て一緒に写真を撮りたいとい う女性にかける決まり文句が「妊娠!妊娠!」 初めに見た時は、よくNHK が火野正平を使うな、と思ったが、考えてみれば、プレーボーイというイメー ジは、週刊誌広告の見出しやテレビの情報番組で、漠然とそう感じていただけ で、本当のところはよくわからないのであった。 正平さん、虫や草花に詳し く、歌がうまい(CDを出していたことなど知らなかった)。

電車やバスで移動する時に使う、「輪行」という言葉に違和感があったが、『広 辞苑』の、りんこう【輪行】には「(1)サイクリング(2)公共交通機関で、 サイクリングを始める所まで自転車を持って移動すること」とあった。

 感心するのは、視聴者の手紙のすばらしさだ。 それぞれのエピソードが、 聞く者を感動させる。 「人生を変えた忘れられない風景」、「大切な人との出 会いの場所」、「こころに刻まれた音や香りの情景」、「ずっと残したいふるさと の景色」というテーマもよいのだろう。 そうしたテーマだと、ひとりひとり が心に大切にしまってあるものが、自然に湧き出して来て、綴ることができる のかもしれない。 パソコンを使うのか、多くの手紙がプリントされているの も、あらためて現代を感じさせる。

 火野正平+NHKチームこころ旅 著『人生下り坂最高!』(ポプラ社・2015 年)という本もあるそうだ。