封印銭とは?〔昔、書いた福沢36〕2019/03/17 08:01

   封印銭とは?<等々力短信 第425号 1987.(昭和62).5.5.>

 いつも知ったかぶりをしているのを、買いかぶられて、福岡のお医者さんの 高岡弘道さんから、質問のお手紙を頂いた。 高岡家の神棚に、昔から、古び た薄手の箱に入った、一連の銭の形をした、奇妙なものがあるのだそうだ。 そ の昔、高岡さんの曾祖父にあたられる方の熊本の家に、自慢の赤膏薬(漢方薬) があり、ある日の夕暮れ、一人の貧しそうな老婆が、その薬をもとめに来た。  困った様子を見かねた家の人が、薬を渡すと、老婆はその銭のようなものを置 いていった、という言い伝えがある。 昨年新聞に、沖縄で使われていた「封 印銭」の写真が出ていたのだが、それが高岡家秘蔵の品と同じものらしい、い ったい、これは本来何に使われたものだろうか、というお尋ねである。

 同封の新聞切り抜きを見ると、鳩目銭をワラに通し、四百枚ないし千枚を一 連としたものが「封印銭」だという。 私は単純に、「封印銭」というのは、現 在銀行で、硬貨を五十枚ずつ紙巻の束にして、束ならば、いちいち数えなくて もよいという、あれと同じ趣向のもので、確認の朱印(お上か両替屋かの)で 権威をもたせたものだろうと、考えた。

 落語の『孝行糖』や『唐茄子屋政談』に、御奉行様から「青緡(ざし)五貫 文」の褒美が出るというのがある。 この緡(さし)というのは稲藁を縒って 細縄にしたもので、普通は百文ずつを緡に通して使ったのだそうだ。 青緡は 役所の表彰用なので、造りが立派で青く染めてあり、端は房になっていたとい う。 一貫は千文だから、五貫文は五千文。 百文ずつ区切ったソーセージの ような緡を、五十個、釣鐘のように、上は縄をひとまとめに編み上げ、下は互 いに結びあってバラバラにならないようにしてあったのが、「青緡五貫文」とい うものだそうである。 江戸中期から、幕末動乱の少し前までは、金一両=銀 六十匁=銭四貫文というのが交換比率の目安だったそうだから、「封印銭」の単 位が、千枚(おそらく一貫文)や四百枚(これは十個で一両)になっているの も、辻褄が合う。

 福沢諭吉に「福沢氏古銭配分の記」という文章があり、福沢諭吉とその父親 の人柄を、よく伝えている。 これを読むと、江戸時代後期に、銭緡というも のが日常の、たとえば魚屋への「百文」の支払いといった場合に、使われてい たことがわかる。

 どろ縄式に、以上のような愚見を述べて、お茶を濁したのだが、私の知識が、 落語と福沢諭吉の視角に、限られていることに、改めて気付いて、ニヤリとし た。