万年の春〔昔、書いた福沢39〕2019/03/20 07:11

   万年の春<等々力短信 第479号 1988.(昭和63).11.15.>

飯沢匡さんの福沢諭吉論で、私が共感している第一点は、福沢のユーモアを 高く買っていることである。 一昨年の暮、飯沢さんは、福沢の『開口笑話』 (明治25(1892)年刊)という対訳ジョーク集を発掘して、みずから現代語 訳を付け出版した。(冨山房刊) 『開口笑話』は「福沢諭吉閲、(長)男一太 郎翻訳」ということで出版されていたために、福沢全集にも、ごく一部しか収 録されていない。 福沢の、この早い時期での、ジョークの紹介と鼓吹は、残 念ながら実を結ばなかった。 儒教的精神に凝り固まった当時の識者たちに受 け入れられなかったばかりでなく、今なお日本人にはジョークを楽しむ感覚が 根づいていないというのが、飯沢さん、年来の主張である。 福沢諭吉のユー モア、特に漫画との深い関係については、飯沢さんの岩波新書『武器としての 笑い』に詳しい。

第二は『帝室論』だ。 『異史 明治天皇伝』のなかで、飯沢さんは福沢の『帝 室論』を高く評価している。 明治15(1882)年に発表された『帝室論』で、 早くも福沢が今日の目で天皇を論じ、そこには「象徴天皇」の像がはっきりと 浮び上っている、と指摘する。 さらには、福沢が逸早く、天皇が政治家によ って政治的に利用される弊害を見越して、「帝室は政治社外のものなり」と簡潔 明快に言い切った先見性に、敬服している。

『帝室論』百年だった1982(昭和57)年、等々力短信257号(吉田茂と『帝室論』〔昔、書いた福沢13〕<小人閑居日記 2013.11.28.>参照)に、こう書 いた。 「吉田内閣の時、天皇陛下から、民主主義の時代に国民と皇室の関係 はどうなければならないかというご下問があった。 即答できずに、「本来なら 切腹だ」と、真青な顔で官邸に帰ってきた吉田さんに、福沢諭吉の『帝室論』 のことを話したのが、武見太郎さんだった。 早速『帝室論』を読んだ吉田首 相が、小泉信三さんに文部大臣を頼もうといい出す。 使いの武見さんに、小 泉さんは戦災の怪我がまだ治っていないからと断る。 それでは高橋誠一郎さ んだということになり、武見さんは「先生、福沢の弟子として、こういう時に 福沢の遺志が政府に伝わるのは非常にいいことなので、それをする義務は先生 にだってあるでしょう」という殺し文句を使って、高橋さんを官邸へ連れ込む。」

 このエピソードは、武見太郎さんの『戦前 戦中 戦後』(講談社)に書かれて いる。 その時、私は「帝室は政治社外のものなり」と一緒に「我が帝室は日 本人民の精神を収攬するの中心なり」と「帝室は独り万年の春にして、人民こ れを仰げば、悠然として和気を催ふす可し」も、引用した。

 いま、三度目の『帝室論』の季節が、めぐってきたようである。