『福沢先生百話』〔昔、書いた福沢43〕2019/03/24 07:54

  『福沢先生百話』<等々力短信 第484号 1989.(平成元年).1.15.>

 正月休みを、桑原三郎先生の『福沢先生百話』(福沢諭吉協会叢書)とともに、 静かに落ち着いて過ごせたのは、至福のことであった。 桑原三郎先生は、慶 應義塾幼稚舎の教諭で、『福沢先生百話』は、週刊の幼稚舎新聞に三年余にわた って連載されていたものである。 桑原先生は、実は私の高校時代の最も印象 的で、忘れることのできない、ある思い出に連なる方であったが、昨年3月福 沢協会のセミナーで、たまたま同じテーブルに座ったことから、二十数年のブ ランクを飛び越えて、再びご厚誼を頂くことになった。 筆まめは福沢の影響 か、以後十か月たらずの間に先生から頂戴したお便りは15通の多きを数え、 「等々力短信」は、また一人の、有難くも力強い後援者を得たのであった。

 『福沢先生百話』は、福沢諭吉の全体像をとらえるのに、最適の入門書であ る。 福沢諭吉という一個の人物が、幕末維新における日本の歴史とどういう 関わりをもったか、日本の独立を守るためには、日本人が一刻も早く西洋の文 明、つまり日新の科学と独立不羈の気力、公徳(=文明の精神)を、身につけ なければならないかに逸早く気づいて、国民に説き、身をもって実践してみせ た偉大を、桑原先生は、情熱を込めて若い幼稚舎生に伝えようと試みられ、見 事にそれに成功した。 「良い」ものを、ぜひとも子供たちにも、という「良 い」お気持が、「良い」結果をもたらしたのだろう。 長年の福沢研究は、先生 の福沢に対する敬慕の情を確固たるものにしたのだろう。 全篇「福沢先生」 で貫かれた記述も、読む者に素直な感動を伝えるから、塾外の人にも違和感は ないと思う。

 『福沢先生百話』は、それまで武士たちが持ち続けてきた高い品格、卑しさ を嫌う心にも言及し、武士でもあった福沢諭吉の、立派に生きようとする男ら しい心を取り上げて、福沢を、われわれが生きていく上で、忘れてはならない 標的として指し示してもいる。

 桑原先生のご専門である「子供の本」の視点、「ひゞのをしへ」、『世界国尽』、 『文字之教』のご研究の切り口からの記述に、新鮮な印象を受けたことも書い ておかなければならない。 さらに特筆しなければならないのは、親切な索引 のことである。 人名や書名だけでなく、事項索引、たとえば「まめ」「坊さん にしたい」などという見出しが嬉しい。 「拍手」からは、今、人の話を聞い た後に、する拍手は、三田の演説館から日本中に広まったことなどが、たやす く引けるのだ。 それにつけても、福沢諭吉は汲めども尽きぬ泉である。 私 には、この本で初めて知ることが、数多くあった。