『中村勘三郎楽屋ばなし』の慶應義塾2019/04/11 07:21

 『中村勘三郎楽屋ばなし』に、慶應義塾が出てくる。 「兄、吉右衛門のこ と」の章には、「親父さん」六代目菊五郎と「兄」初代吉右衛門が、何によらず 正反対だった話がある。 六代目は声はよくなかった、兄は名調子と言われた。  六代目は太ってて、兄はやせている。 六代目は汗かかずで、兄は汗っかき。  六代目宵っぱり、兄早寝。 踊りの名人と、踊らない役者。 軽妙洒脱と謹厳 実直。 贔屓筋もはっきり二派に分れてて、客席も真っ二つに分れちゃうんで、 まるで早慶戦みたい、すごい熱気だった。

 早慶戦といえば、六代目は野球好きで、慶應贔屓だったから、ある時、早慶 戦の前日に慶應野球部へ鰻を五十人前届けたら、翌日勝ったというんで、それ からはずっとそれが吉例になった、という。 「吉右衛門の孫達、今の幸四郎 も吉右衛門も学校は早稲田でしょ。今でも片っ方だけ早慶戦が尾を引いてるん だね。」と、十七代目は語っている。

 「友達のこと」の章に、「八百屋会の人たち」というのがある。 歌舞伎座の 近くに二葉寿司という寿司屋があって(今も二葉鮨という店があるが、それ か?)、慶應の芝居好きの学生の溜り場になっていた。 二葉寿司の親父さんが、 十七代目の楽屋に来て、学生さんたちが会いたがっていると言って以来、ほん との友達づき合いをしてくれたのが嬉しかった。 そのグループが「八百屋会」 という名で、野菜の名の渾名のついている人が多かった。 鈴木って人はスイ ッチョから「キュウリ」、瀬味次郎は「キンカン」(この人、京橋で印刷屋をし ていたが、残念ながら戦死した)、三井の重役になる小池悌四郎は勉強がよくで きたから渾名なし、今村の水無飴の息子今ちゃん「ヒネショーガ」、木綿問屋の 息子で父親が芝居好きの杉浦勘三郎、十七代目は言いたくないけど役者だから 「ダイコン」。 二葉寿司の親父さんが「カボチャ」で、娘が生まれたら、ほん とに「お里」とつけちゃった。 この「カボチャ」が、よっぽど慶應義塾って 学校が好きだったとみえて、自分の子供にも、上から慶一郎、應次郎、義三郎 とつけた。 塾がないね、と誰かが言ったら、とうとう犬につけちゃって、「ジ ュク! ジュク!」と、塾なんていうおかしな名前の犬を飼っていた。

 その「八百屋会」の連中が、十七代目をよく山へ連れてってくれて、当時、 役者で北アルプスなんかに登っているのは、ぼくだけでしょう、と語っている。  鹿島槍に三度も登ってて、熊に出くわしたこともある。

 「八百屋会」に一人、飛び入りの帝大生がいて、義太夫を語ったりするので 仲間になった寺中作雄、のちに文部省の教育局長から国立劇場の理事長にまで なった。 教育局長時代、兄の吉右衛門が何かの用事で文部省を訪ねた。 立 派な部屋で、相手は偉い役人と思うから、ハハーッと、ほとんど平伏に近いお 辞儀をして、ふと目を上げると、弟である十七代目の松王丸の写真が飾ってあ る。 なぜここにお前ごとき者の写真が飾ってあるのかと、ひどくびっくりし たと、吉右衛門が話したので、十七代目は内心得意だったという。

コメント

_ 濱田洪一 ― 2019/04/11 20:30

杉村(杉浦)3兄弟の長兄慶一郎さんは、我々105年三田会の同期でした。NHKの「私の秘密」に3兄弟と犬のジュクで出ました。回答者の塾員藤浦洸さんは、「私は知ってますから」と回答を棄権されました。

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