いろは順〔昔、書いた福沢47〕2019/04/20 09:06


    いろは順<等々力短信 第539号 1990.(平成2).8.5.>

 丸谷才一さんに、天國(てんくに)で天丼を食べた後、歌舞伎座で忠臣蔵を
観ての一句、
  討入りやいろはにほまで雪の中
がある。(『猫だつて夢を見る』) そして、この句があるから、歌舞伎座は1987
(昭和62)年暮に、いろは順だったということが、文献的にわかる、と自ら述
べている。 さらに、1989(平成元)年初夏の、この文章が書かれた時点で、
帝劇もコマ劇場も、いろは順だと、編集部が連絡してきている(作家はいいね、
調べてくれる人がいるわけだ)。 調べてくれる人のいない私は、身近なもので
済ます。 自分が持っている国立小劇場の落語研究会定連席券を取り出してみ
る。 4列18番。 国立小劇場は伝統を無視しているから、
  噺家に上目を使ふいろの客
という句は出来ない。 第一、季節がない。 ただ、4列目の真ん中というの
は、まあ、いい席で、それより前だと、首が痛くなるということが、言いたい
のだ。

 丸谷さんの「いろはにほへと」という、その文章に福沢諭吉(和田誠さんの
イラストまでついて)が登場する。  1891(明治24)年、大槻文彦が『言
海』を編纂したとき、世話になった福沢諭吉に一本を献じに参上したところ、
福沢は、それがアイウエオ順なのに驚いて「しかし、下足の札なんかはやはり、
いろはでなければいけないでせうな」という意味のことを言ったそうだ(この
話、丸谷さんは、おらく高田宏さんの『言葉の海へ』で読んだのだろう。高田
さんは福沢の保守性をそこにみて、厳しいことを言っている)。 丸谷さんは「福
沢のやうな開明的な、つまり機能を重んずる人が、いろは順にここまでこだわ
るのはおもしろい。何か愛着があつたのでせうね。」と、おだやかだ。

 子供が英語をやる年になった時、和英辞典を見て、目からウロコの落ちる思
いがした。 それは、私が使っていた頃のABC順・ローマ字見出しではなく、
あいうえお順・ひらがな見出しになっていたからだ(子供が高校に入る時に買
ったのは、漢字見出しにまで進んでいた)。 日本語から英語をさがすのに、
“suizokukan”、「すいぞくかん」、「水族館」の、どれからが一番早いか。 和
英辞典というものが出来てから、百年を超す歴史があると思われるのだけれど、
ABC順・ローマ字見出しのくびきから解放されるまで、それほど長い時間が必
要だったことになる。 先例や伝統にいかに人がとらわれるか、福沢にあまり
厳しいことは言えないのではないかと、私は思うのだ。