「紙の博物館」白石の和紙2019/05/08 06:36

 「渋沢史料館」の隣「北区飛鳥山博物館」は飛ばして、その隣「紙の博物館」 へ行く。 渋沢栄一が中心となって明治6(1973)年に設立した「抄紙会社」、 後に王子製紙となる工場の創業地、わが国の洋紙発祥の地であるここ王子に、 1950(昭和25)年に開館した世界有数の紙専門の博物館だ。 和洋紙問わず 古今東西の紙に関する資料を幅広く収集・保存・展示している。 常設展示以 外に、たまたま「白石(しろいし)の和紙~名産紙布・紙衣を中心に」企画展 の開催中だった。 宮城県白石市周辺は、江戸時代の白石城主・片倉家の奨励・ 保護によって発達した、和紙の産地として知られるという。 地元の虎斑楮(と らふこうぞ)で漉いた強度と耐久性に優れた白石の和紙は、紙布や紙衣(紙子) にも加工されて、名産品として名を馳せ、紙布は伊達家から幕府や朝廷への献 上品にもなった夏物衣料の最高級品だったそうだ。

 倉本聰の『やすらぎの郷』の続編『やすらぎの刻』の初めに、裂織(さきお り)というのが、出て来た(実は、その後を見ていないのだが…)。 使い古し た布地を細く裂いて手織機で織る織物だ。 紙布(しふ)は、それに似て、経 (たて)糸に絹糸・綿糸・麻糸などを用い、緯(よこ)糸に和紙を細く裂いて 縒(よ)りをかけた紙糸を用いて織った織物。 白石の他、静岡県熱海でも産 するという。 藩政時代、東北では綿が採れず、白石では和紙を糸にして、そ れを織って着物にしていた(紙布織・紙衣(かみこ))。 風を通さず温かいの で、武士が鎧の下に着たり、松尾芭蕉が旅の防寒着にしたり、東大寺の僧がお 水取りの時に着用したという。

明治期以降に洋紙が普及するにつれ、他の産地同様に白石和紙は衰退し、生 産や物流が発達してくると、安価な布に押されて、手間のかかる紙布織・紙衣 は廃れていった。 昭和初期にはほとんど廃れてしまった白石名産の紙布を復 興させるために、片倉家15代当主の片倉信光を所長として1940(昭和15)年 に「奥州白石郷土工芸研究所」が設立される。 研究所では、呉服問屋で紙布 織も扱っていた佐藤忠太郎が、石碑等の拓本を取る趣味を活かし、和紙の拓本 染めを考案し、和紙を版木に叩いて馴染ませ、立体的な模様のある和紙材料を 作ることに成功し、白石紙子(かみこ)を作り出した。 白石紙子は、丈夫で ふくよかな特性をもつ和紙と、和紙職人の研鑽を積んだ技とが融合した白石の 誇る特産品である。 現在も二軒の工房で、財布や名刺入れ、ハンドバッグな どが作られているそうだ。

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