福沢『帝室論』とバジョットの『イギリス憲政論』2019/05/18 07:10

 『三田評論』5月号の特集「『帝室論』をめぐって」が、たいへん勉強になっ た。 まず、座談会「『帝室論』から読み解く象徴天皇制」である。 都倉武之 福澤研究センター准教授の司会で、井上寿一学習院大学学長、君塚直隆関東学 院大学教授、河西秀哉名古屋大学大学院准教授の出席。

 都倉さんは、明治15(1882)年『時事新報』に連載された『帝室論』を、 長く将来にわたって読ませるために書いたものか、その時の時事論なのか、と いう問題を提起し、時事論として見たときは、自由党や改進党に対抗して、御 用政党の立憲帝政党が出てきて、天皇主権をうたい、帝室の尊厳を一番大事に しているのはわれわれだと主張し始めた。 福沢はこれに対して、天皇の権威 を党派が借りることを直接的に批判し、この機会に比較的に長い視野で通用す る皇室論を説こうともしている。 『帝室論』と『尊王論』(明治21年)をセ ットで考えたときに、一貫しているのは、天皇の権威を神話などに由来する神 権的、宗教的なところから説き起こすのではなく、いわば唯物的に把握しよう とする点だ。 天皇の神性が絶対的な権威となり、政治を左右する可能性への 危険性の直感のようなものを福沢は持っていたのではないか、と都倉さんは考 えている。

 『帝室論』が「西洋の一学士」「バシーオ氏」、ウォルター・バジョットの『イ ギリス憲政論』からいろいろな影響を受けているという君塚さんの指摘は重要 だ。 「西洋の一学士、帝王の尊厳威力を論じて之を一国の緩和力と評したる ものあり。意味深遠なるが如し」。 政治思想史的に君主というものをどう位置 づけるか、バジョットは、君主はその国のdignity、尊厳的な部分であり、そ れに対して政治や議会が機能的な部分であるという区分だ。 尊厳的な部分が、 一国の緩和力であり、政治の中では重要な部分で、皇室はいずれの政党にも属 さない、公正中立で超越的な存在であるとする。

 井上さんは、政党政治が本格的に動き始めたのは戦前昭和の二大政党制の時 代で、二大政党制が崩壊したのは、軍部の責任もあるけれど、政党の側にも非 常に重い責任があって、『帝室論』が示しているような立憲君主国の戦前昭和版 ができなかったことが、破局につながったと考える。 また、天皇自身が政治 的なファクターとして関わらざるをえなくなったことで、回り回って破局につ ながったという点では、まさに『帝室論』が先駆的に指摘している通りだとす る。

 敗戦を経て憲法が変わり、『帝室論』が再び注目されるようになる。 君塚さ んは、バジョットの影響は、戦後の昭和天皇の時代まで通奏低音として流れて いると言う。 昭和天皇は皇太子時代、第一次大戦が終わった直後の大正10 (1921)年5月からヨーロッパを歴訪し、最初にイギリスでジョージ五世と親 しく接し、紹介されたケンブリッジ大学国政史のJ・R・タナー先生の進講を受 ける。 ジョージ五世は四半世紀前の即位に当って、タナー先生とバジョット を読んでいた。

 河西さんは、ジョージ五世の存在が、昭和天皇を介して今の象徴天皇のあり 方に、非常に影響を与えているとする。 昭和天皇は、政治家に対して助言し たり励ましたり、ということをしてこそ君主としてのあるべき姿だと考えてい たようで、バジョットやジョージ五世の影響をすごく受けて、自らの行動をし ていたように思う、と言う。

 外交官ハロルド・ニコルソンが『ジョージ五世伝』を出版した翌1953(昭和 28)年、エリザベス女王の戴冠式に皇太子(現、上皇)が昭和天皇の名代とし て参列、随行していた小泉信三に当時の駐英大使がこの本を渡し、御進講で一 緒に読むことになる。 君塚さんは、1998(平成10)年5月、天皇になって から初めてイギリスを公式訪問した際の記者会見で、陛下が「ジョージ五世の 伝記は小泉博士と一緒に読みました。バジョットの憲法論、国王は相談され、 励まし、警告するということをジョージ五世は学ばれました。ジョージ五世の 地道に誠意をもって国のため国民のために歩まれた姿は感銘深いものがありま す」とおっしゃった、と言う。 そして、小泉信三がこの本を選んだのは、ジ ョージ五世が義務というものに忠実な君主だったからだろうとする。 ジョー ジ五世は、立憲君主制についてはバジョットを読み、1910年の即位後はいろい ろの経験を積み重ね、君主としての人生も公明正大で、どの政党にも偏らず、 そして国民と共に第一次世界大戦を乗り切った、そのような姿勢を小泉さんと 一緒に伝記を読んでいく中で感じ取ったのではないか、と。

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