冥福〔昔、書いた福沢55〕2019/05/21 07:04

     冥福<等々力短信 第615号 1992(平成4).10.5.>

 「ご冥福をお祈りします」と書くたびに、紋切型で気持がこもらないなと思 うけれど、ほかにいい知恵も浮かばない上、あえて個人プレーを演ずる場所で もないので、大勢に順応して無難なところで済ましている。 冥福とは、死後 の幸福のこと。 ちょっと考えると、天国で永遠の生命を得るというキリスト 教の思想から来ているような気がするが、冥土の「冥」を使っているところを みると、仏教起源の言葉のようだ。 人の死後の幸福を祈るために仏事を修す る「追善」と、同じ意味だと『広辞苑』にある。

 「冥福」な人がいる。 死んで90年も経っているのに、2月3日の命日に は終日慶應義塾の生徒や学生で墓前が賑わう(この日お参りをすると落第しな いという伝説の為もあるとはいえ)福沢諭吉も、その一人だ。 生前は不幸だ ったが、「冥福」な人に、宮沢賢治がいる。 丈夫ではない病弱な身体にむち うって、困っている人があれば東奔西走。 結婚できない相手、実の妹を愛し てしまう、最愛の妹トシは24歳の若さで結核で死ぬ、賢治も一生結婚せず、 37歳で死んだ。 9月21日の命日には、毎年花巻市内の「雨ニモマケズ」 の詩碑の前で「賢治祭」が行なわれ、たくさんの人々が参列して、賢治のこと を思うという。 積善の家に余慶ありというが、積善の人に「冥福」ありだ。

 シナリオライターの早坂暁さんは、13年前から毎年北上川の柳が一番美し い春、たったひとりの「賢治祭」をする。 賢治ゆかりの場所、「彼の豊かな 空想力と、岩手県の風土とが、奇跡的に化学結合して出現したドリーム・ラン ド」イーハトーブへ出かけ、賢治にちなむ詩や童話を一人で声を出して読んで 来るのだそうだ。(早坂暁著『夢の景色』文化出版局)          

 ある年は、花巻農学校の校庭に行って、その校歌にもなっている「精神歌」 を読んだ。 「日ハ君臨シ 輝キハ/白金ノ雨 ソソギタリ/我等ハ黒キ土ニ フシ/マコトノ草ノ 種マケリ」 その前年は、花巻温泉の花壇の中で、「け ふのうちに/とほくへいつてしまふ/わたくしの いもうとよ……」という 「永訣の朝」を読んできた。 そのまた前の年は、賢治が土質改良の石灰を売 るために、病弱の身体をかえりみずに、歩きまわって倒れ、その死の引き金と もなった、東北砕石工場のある東山町へ行き、「雨ニモマケズ」の詩を朗読し た。 「ミンナニ デクノボート ヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/ サウイフモノニ/ワタシハ ナリタイ」