翻訳語成立事情〔昔、書いた福沢58〕2019/05/24 07:15

   翻訳語成立事情<等々力短信 第625号 1993(平成5).1.25.>

 翻訳家の中田耕治さんが、はじめて訳したミステリーに、やたらに女にもて る私立探偵が出てきた。 朝帰りのワイシャツの襟に、口紅のあとが残ってい るのを、女秘書がプリプリしながら、ティッシュペイパーでふいてやる。 こ の「ティッシュペイパー」につまずいた。 まだ戦後の経済的混乱期で、日本 人の生活には当然、そんなものはなかった。 辞書を引くと、tissue には組 織、薄い織物の意味がある。 さあ、わからない。  「組織紙」って何だろ う。 さんざん考えて、鼻紙だろうと見当はついたが、ミステリーに鼻紙では 気がきかない。 「薄紙」と訳した。 後年、ティッシュの現物を手にした時 は、さすがに感慨があった、という。(平成4.11.23.「今週の日本」)

 中田さんから約80年前の幕末、福沢諭吉の頃は、そんな、なまやさしいも のではなかった。 出てくる単語、出てくる単語、見当もつかないものばかり だったろう。 辞書を引こうにも、辞書もないのだ。 ことにわからなかった のが、「自由」「権利」「個人」「社会」といった、無形の概念だったのは、容易 に想像できる。

 慶応2(1866)年の『西洋事情』初編、冒頭の「備考」(総論という意 味だろう)「文明の政治」の「六ケ条の要訣」で、福沢は西洋の政治の基本原 理を、西欧での見聞を織り込みながら、自分の言葉で語ることを試み、成功し た。 その第一条が「自主任意」「自由」である。 「国法寛(ゆるやか)に して人を束縛せず、人々(にんにん)自ら其所好(このむところ)を為し、 (中略)上下貴賎各々其所を得て、毫(ごう)も他人の自由を妨げずして、天 稟(ぴん)の才力を伸べしむるを趣旨とす」。 当時、日本語にも「自由」と いう言葉はあったが、主として「わがまま放盪(とう)」といったマイナス・ イメージの言葉だったらしく、福沢は脚注で、英語の「フリードム」「リベル チ」を自分は「自主任意」「自由」と訳したが、「未だ的当の訳字あらず」「人と 交て気兼ね遠慮なく自力丈け存分のことをなすべしとの趣意なり」と断わって いる。

 柳父章さんは『翻訳語成立事情』(岩波新書)で、「自由」「社会」など学 問・思想の基本用語が翻訳語で、日常語とは切り離された別の世界の言葉だっ たこと、両者間の意味のずれや矛盾の存在を、指摘している。 福沢の訳語 「自由」は定着したが、思想としての「自由」は、はたして定着したのだろう か。 「自由」民主党などは、伝統の意味の「自由」を、保守しているような 気が、しないでもない。